新渡戸 稲造(にとべ いなぞう、旧字体:新渡戶 稻造󠄁、文久2年8月3日〈1862年9月1日〉- 昭和8年〈1933年〉10月15日)は、日本の教育者・思想家。農業経済学・農学の研究も行っていた。札幌農学校在学中に出会ったキリスト教から多大な影響を受ける。 国際連盟事務次長も務め、著書『武士道』は、流麗な英文で書かれ、長年読まれている。日本銀行券の五千円券の肖像としても知られる。東京女子大学初代学長。東京女子経済専門学校(後の東京文化短期大学、現在の新渡戸文化短期大学)初代校長。 陸奥国岩手郡盛岡城下(現在の岩手県盛岡市)に、藩主南部利剛の用人を務めた盛岡藩士新渡戸十次郎の三男として生まれた。幼名は稲之助。新渡戸家には西洋で作られたものが多くあり、この頃から稲之助は西洋への憧れを心に抱いたという。やがて盛岡藩校作人館に入り[要検証 – ノート]、その傍ら新渡戸家の掛かり付けの医者から英語