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gyokiに関するnabinnoのブックマーク (2)

  • 『「仏教と資本主義」』

    大学で社会科学系の学部にいると必ず読まされるのが、 マックス・ウェーバーの、 『プロテスタンティズムの倫理と資主義の精神』(1904年)、 通称「プロ倫」です。 私も学生時代に「プロ倫」の授業が激しく眠かったのですが、 働き始めて、この著作のすごさが身にしみてきました。 職業は神に与えられた「天職」であって (今でも英語では天職をCallingと言いますよね)、 勤勉と倹約と効率化は天国への道であって、 神のための労働でお金を貯めるのは摂理である。 働いてカネを稼ぐという世俗的なことが、 プロテスタンティズムによって倫理的なお墨付きをもらい、 資主義がこんなに発展した、というのは、 宗教と世俗の結婚といいますか、かなり衝撃的でした。 では仏教はどうだったのか? というのが、このの主要なテーマです。 著者は、ヨーロッパでプロテスタントが起こるより800年も前に、 同じ考えを説く仏教者が

    『「仏教と資本主義」』
  • 行基 - Wikipedia

    行基(ぎょうき/ぎょうぎ、天智天皇7年〈668年〉 - 天平21年2月2日〈749年2月23日〉[1])は、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した日の仏教僧。 朝廷が寺や僧の行動を規定し、民衆へ仏教を直接布教することを禁止していた当時、その禁を破って行基集団を形成し、畿内(近畿)を中心に民衆や豪族など階層を問わず広く人々に仏教を説いた。併せて困窮者の救済や社会事業を指導した。布施屋9所、道場や寺院を49院、溜池15窪、溝と堀9筋、架橋6所を各地に整備した。 当初、朝廷から度々弾圧や禁圧を受けたが、民衆の圧倒的な支持を得、その力を結集して逆境を跳ね返した。その後、大僧正(最高位である大僧正の位は行基が日で最初)として聖武天皇により奈良の大仏(東大寺)造立の実質上の責任者として招聘された。この功績により東大寺の「四聖」の一人に数えられている[2]。 生涯[編集] 天平21年(749年)に弟子

    行基 - Wikipedia
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