ときに、江戸時代になってから著わされた『北条記』、『吾妻記』、『関八州古戦録』などの軍記物語は、一様に、名胡桃城強奪事件は、先の猪俣邦憲が独断でおこなったことだと断定している。 上記のなかでもっとも早く成立した『北条記』(著者不詳・1672年以前に成立)を例にとれば、—— 同書はまず彼のことを「ここに安房守(北条氏邦)のうち昔猪俣小平六範綱が末葉猪俣能登守(邦憲)という者、知恵分別もなき田舎武者あり」と紹介し、さらに、この事件が起こったあと、北条家は秀吉に、「上州なくるみの事はまったく北条下知にあらず。辺どの郎従ども不案内の慮外なり」、つまり、「名胡桃のことは、田舎者の家来(猪俣邦憲)が事情を知らずにやったことです」と陳謝したのだ、としている。 かくして彼は、主家を滅ぼした「知恵分別もなき田舎武者」として歴史に名を刻まれることとなるのである。 しかし、すくなくとも、『北条記』の上記の記述は
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