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japan-russia-war-of-1945とnorth-koreaに関するnabinnoのブックマーク (2)

  • 旧ソビエト“日本人保護せず”外交文書 NHKニュース

    終戦直後、30万人余りの日人が取り残された朝鮮半島北部で、現地を占領した旧ソビエトが、日人の保護に応じなかったことを記した外交文書が新たに見つかり、大勢の日人が死亡した状況を知るうえで貴重な資料として注目されます。 この外交文書は、戦後の引き揚げを研究している国文学研究資料館の加藤聖文助教がスウェーデンで見つけたもので、1945年9月に作成されました。 当時、旧ソビエトは日の植民地だった朝鮮半島北部を占領し、北緯38度線より南に人が移動するのを禁じたため、現地には30万人余りの日人が取り残され、日政府は旧ソビエトに保護するよう要請していました。 今回見つかった文書の中で、旧ソビエトは日の代理として交渉にあたったスウェーデンに対し「日の地位は敗戦によって大きく変わった」として保護の要請に取り合わず、また、スウェーデンはアメリカに占領された日の代理を果たす必要はないと主張して

  • シベリア抑留 - Wikipedia

    舞鶴港に上陸する、抑留からの帰還兵(1946年) シベリア抑留(シベリアよくりゅう、英:The internment in Siberia[1])は、第二次世界大戦の終戦後、武装解除され投降した日軍捕虜や民間人らが、ソビエト連邦(ソ連)によってシベリア、カザフ、キルギス、ウズベクなどソ連各地、モンゴル人民共和国(モンゴル抑留)などソ連の衛星国へ労働力として連行され、長期にわたる抑留生活、厳寒・飢え・感染症の蔓延る過酷な強制労働により多数の人的被害を生じたことに対する総称である。男性の被害者が多いが女性も抑留されている[2][3][4][5]。 ソ連対日参戦によってソ連軍に占領された満洲、朝鮮半島北部、南樺太、千島列島などの地域で抑留された日人は約57万5千人に上る[6][4]。厳寒環境下で満足な事も与えられず、苛烈な労働を強要させられたことにより、約5万8千人が死亡した[7][4]。

    シベリア抑留 - Wikipedia
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