1928年、京都帝国大学文学部史学科を卒業。戦前は、智山大学講師、京都帝国大学講師、海軍教授などを務めた。 戦後の1945年、海軍教授を退職して大谷大学講師となり、1946年に同教授、1955年から同志社大学教授を1960年まで務める。退職後は大阪市立博物館館長・佛教大学教授など歴任。朝鮮古代史で著名な東北大学名誉教授の井上秀雄などを指導したほかに、1960年から日本書紀研究会を主宰するなどして関西の日本古代史研究者を多く育てた。 1920年代から1930年代頃に発展したアメリカ民俗学での知見を取り入れ、それまで史料学の分野であった考古学に、自然人類学(民俗学)、文化人類学(社会人類学)な視点を加えて、日本や朝鮮での古代神話を比較し、比較神話学などにおいて業績を残した[1][2]。特に建国神話における日本と周辺諸国の神話や伝説の考察では、例えば辰国は史書の編纂者による創出であり歴史的実在は