うん,まったく同情できない。 今回のウクライナ危機については色々な感想があろうが,わたしはひたすらに「因果応報」という感想を禁じ得ない。取り敢えず,以下で紹介されているプーチンの演説からわたしにとっては大事なところを抜き出す。 クリミア編入を表明したプーチン大統領の演説 - Togetterまとめプーチン演説47)独立を宣言と住民投票を発表した際、クリミア自治共和国議会は国連憲章を根拠とした。民族自決の原則だ。思い出してほしい。当のウクライナもソ連から脱退するときに同様の宣言をした。ウクライナは民族自決を使ったのに、クリミアの人たちはそれを拒否される。なぜなのか?https://twitter.com/usausa_sekine/status/446254522076110848プーチン演説48)このほかにも、クリミア指導部は有名なコソボの先例を参考にした。それは西側が自ら作ったものだ。全
コソボの歴史(コソボのれきし)では、バルカン半島にあるコソボ地域の歴史について述べる。 バルカン半島のコソボは古くはダルダニア(英語版)(Dardania)と呼ばれ、紀元1世紀からはローマ帝国の属州モエシアの一部となった。700年ごろから1455年まで、ラシュカ公国などの中世のセルビア人国家の統治下となったが、1455年にオスマン帝国に征服されその一部となった。オスマン帝国のコソボ州(Kosovo Vilayet)は1875年まで存続したが、その領域は現在のコソボとは大きく異なっている。コソボは1912年にセルビアの一部となり、セルビアは1918年にユーゴスラビア王国を結成した。1963年、ヨシップ・ブロズ・ティトーの命令により、ユーゴスラビア社会主義連邦共和国・セルビア社会主義共和国の枠内でコソボは自治権を獲得したが、1990年代のユーゴスラビア崩壊に伴い、2006年に独立したセルビア共
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