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languageとtsukai-sakuraiに関するnabinnoのブックマーク (4)

  • 日本国憲法は当初、文語体・漢字カタカナ交じり文で書かれていた - モジログ

    ウィキペディアの「公用文作成の要領」に、日国憲法の表記がどう決まっていったのか、その経緯が載っている。 <日国憲法につながる新憲法の草案は1946年(昭和21年)3月6日に公表された「憲法改正草案要綱」までは、内容的には主権在民、象徴天皇制、戦争の放棄などを規定したほぼ現在の日国憲法と同じものになっていたものの、大日帝国憲法と同じ文語体・漢字片仮名交じり文で書かれていたが、1946年(昭和21年)3月26日に「国民の国語運動連盟」が内閣総理大臣幣原喜重郎に対して以下の7項目からなる「法令の書き方についての建議」を提出したことによって格的な法令・公用文の表記方法の改革が始まることになる>。 1946年3月6日の「憲法改正草案要綱」の時点では、内容的にはいまの日国憲法とほぼ同じものだったが、書き方が大日帝国憲法と同じ、文語体・漢字片仮名交じり文だったそうだ。つまり、<日臣民ハ法

  • 国語には、文章を「直す」訓練がいいのでは - モジログ

    先日、「いまの国語の授業は、体育でプロスポーツの映像を鑑賞するようなものだ」というエントリを書いた。国語も体育と同じように実践型にして、アウトプット中心にすべきだ、といった内容だった。 とはいえ、国語の授業を実践型・アウトプット中心でやるのは、正直たいへんである。アウトプット型といえば、テーマに沿って作文を書くとか、読書感想文を書く、といったものが思い浮かぶが、これはなかなか苦しい。生徒も苦しいが、先生の側も、きちんと評価したり、指導するのは相当むずかしい。もし、これを国語の授業で毎回やるとなれば、おそらく地獄だろう。 作文や読書感想文のように、自分のオリジナルな考えを書かせるというのは、かなり敷居が高い。そこまでしなくても、アウトプットの訓練はできる。プログラミングの世界で「リファクタリング」と呼ばれているものが、この訓練にちょうどいいように思う。「リファクタリング」とは、かんたんにいえ

  • 漢字「明」の音読みは、「ミョウ」「メイ」「ミン」の順番で日本に入ってきた - モジログ

    ウィキペディア - 音読み http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9F%B3%E8%AA%AD%E3%81%BF <音読みには呉音・漢音・唐音(宋音・唐宋音)・慣用音などがあり、それぞれが同じ漢字をちがったように発音する。たとえば、「明」という漢字を呉音では「ミョウ」と、漢音では「メイ」と、唐音では「ミン」と読む>。 <漢音は7、8世紀、遣唐使や留学僧らによってもたらされた唐の首都長安の発音(秦音)である。呉音は漢音導入以前に日に定着していた発音で、通説によると呉音は中国南方から直接あるいは朝鮮半島(百済)経由で伝えられたといわれるが、それを証明できるような証拠はない。唐音は鎌倉時代以降、禅宗の留学僧や貿易商人らによって伝えられたものである>。 漢字の音読みは、日に入ってきた時期によって、呉音(ごおん)、漢音(かんおん)、唐音(とうおん)、その他(慣用音など

  • 日本でマンガが発達したのは、日本語が視覚的な言語だからだ、という仮説 - モジログ

    先日の「米原万里「漢字かな混じり文は日の宝」」に対する反応のなかに、マンガとのつながりを示唆するものがあった。 漢字が一種の「アイコン」であり、日語が視覚的な言語なのであれば、日でこれほどマンガが発達したことは、たしかに偶然ではなさそうな気もする。 手塚治虫は「漫画は一種の象形文字である」と述べたそうだ(「ポジティブで寛容なスタンスが文化を発展させる」で紹介した、『サルまん』のコラムにそう書かれている)。たしかに、手塚治虫の絵は「アイコン」っぽいので、「象形文字」に近い感じがする。『ドラえもん』とか『サザエさん』なんかも、アイコンに近いタイプだろう。 マンガの「ふきだし」では、狭いスペースにセリフを収めなければならない。「ふきだし」という1点だけ考えても、1文字あたりの情報密度が高く、視覚的な言語である日語は有利である。 日語という言語を使う日人は、もともと視覚でのコミュニケー

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