ユネスコ世界遺産委員会は6月28日、日本やフランスなど6カ国が世界遺産登録へ共同推薦していたフランスの建築家「ル・コルビュジエの建築作品」(19作品)について、「記載延期」として登録を見送った。諮問機関の勧告は4段階評価の最低に当たる「不記載」だったが、一段階上がり、再推薦への道が開けた。
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ユネスコ世界遺産委員会は6月28日、日本やフランスなど6カ国が世界遺産登録へ共同推薦していたフランスの建築家「ル・コルビュジエの建築作品」(19作品)について、「記載延期」として登録を見送った。諮問機関の勧告は4段階評価の最低に当たる「不記載」だったが、一段階上がり、再推薦への道が開けた。
ル・コルビュジエ(Le Corbusier[注 1]、1887年10月6日 - 1965年8月27日)は、スイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。本名はシャルル=エドゥアール・ジャヌレ[注 2]=グリ (Charles-Édouard Jeanneret-Gris)。 モダニズム建築の巨匠といわれ[1]、特にフランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に近代建築の三大巨匠として位置づけられる場合もある(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とみなすこともある)。 生涯[編集] ル・コルビュジエは1887年10月6日、スイス北西部のフランス語圏のラ・ショー=ド=フォンに時計の文字盤職人の父エデゥアールとピアノ教師の母マリーの次男として生まれた[2]。彼はフレーベル方式を採用した幼稚園に通った[3][4][5]。家業を継ぐために時計職人を養成する地元の装飾美術学校で彫刻と彫
日本建築学会賞(1954、55、58年) RIBAゴールドメダル(1965年) AIAゴールドメダル(1966年) 文化勲章(1980年) プリツカー賞(1987年) 高松宮殿下記念世界文化賞(1993年) 勲一等瑞宝章(1994年) 代々木第一体育館 1964 丹下 健三(たんげ けんぞう、1913年(大正2年)9月4日 - 2005年(平成17年)3月22日)は、日本の建築家、都市計画家。一級建築士(登録番号第15182号)。位階勲等は従三位勲一等瑞宝章、文化勲章受章。フランス政府よりレジオンドヌール勲章受章。カトリック信徒(洗礼名:ヨセフ)。 日本では「世界のタンゲ」と言われたように、日本人建築家として最も早く日本国外でも活躍し、認知された一人。第二次世界大戦復興後から高度経済成長期にかけて、多くの国家プロジェクトを手がける。磯崎新、黒川紀章、槇文彦、谷口吉生などの世界的建築家を育成
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