五・一五事件(ごいちごじけん)は、1932年(昭和7年)5月15日に日本で起きたクーデタ事件[1]。 井上日召の影響を受けた海軍青年将校が陸軍士官学校生徒や愛郷塾生らと協力し、内閣総理大臣官邸・立憲政友会本部・日本銀行・警視庁などを襲撃し、第29代内閣総理大臣の犬養毅を暗殺した[1]。 大正時代、衆議院第一党の党首が内閣総理大臣になるという「憲政の常道」が確立したことで議会政治が根付き始めた。しかし、1929年(昭和4年)の世界恐慌に端を発した大不況により企業倒産が相次ぎ、失業者は増加、農村は貧困に喘ぎ疲弊する一方で、大財閥などの富裕層は富を蓄積して格差が広がり社会不安が増大するが、それらの問題に対処できず富裕層を守るばかりと見られた政党政治が敵視されるようになり、政治の革新が強く求められるようになっていた。国家革新を求める者の中には過激化し、時の首相を暗殺しようとする動き(濱口首相遭難事