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nagarjunaに関するnabinnoのブックマーク (8)

  • 中論 - Wikipedia

    中論(ちゅうろん)、正式名称『根中頌』[注釈 1](こんぽんちゅうじゅ、梵: Mūlamadhyamaka-kārikā, ムーラマディヤマカ・カーリカー)は、初期大乗仏教の僧・龍樹(ナーガールジュナ)の著作である。インド中観派、中国三論宗、さらにチベット仏教の依用する重要な論書である。 文は論書というよりは、その摘要を非常に簡潔にまとめた27章の偈頌からなる詩文形式であり、注釈なしでは容易に理解できない。注釈書・論書の例は#注釈書・論書を参照。 構成[編集] 冒頭で提示される全体の要旨である「八不」(不生不滅・不常不断・不一不異・不来不去)を含む立言としての「帰敬序」と、27の章から成る。各章の構成は以下の通り[1]。 帰敬序 第1章「原因(縁)の考察」(全14詩) 「縁」(四縁)の非自立性を帰謬論証 第2章「運動(去来)の考察」(全25詩) 「去るはたらき」(去法)の非自立性を帰謬

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  • 錬金術 - Wikipedia

    「錬金術師」はこの項目へ転送されています。小説については「錬金術師 (小説)」を、英語の錬金術師については「アルケミスト」をご覧ください。 ウィリアム・フェッツ・ダグラス(英語版) 作 『錬金術師』 ピーテル・ブリューゲル作『錬金術師』16世紀の錬金術師の実験室。 錬金術(れんきんじゅつ、英: alchemy, hermetic art[1]、ラテン語: alchemia, alchimia、アラビア語: خيمياء‎)は、最も狭義には化学的手段を用いて卑金属から貴金属(特に金)を精錬しようとする試みのこと。広義では、金属に限らず様々な物質や人間の肉体や魂をも対象として、それらをより完全な存在に錬成する試みを指す。『日大百科全書』によれば錬金術とは、古代~中世にわたって原始的な科学の試行錯誤を行った技術・哲学・宗教思想・実利追求などの固まりとされる[2][注釈 1]。 現代英語で「ヘル

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  • Amazon.co.jp: 龍樹 (講談社学術文庫 1548): 中村元: 本

    Amazon.co.jp: 龍樹 (講談社学術文庫 1548): 中村元: 本
  • Amazon.co.jp: 大乗仏典 (14) (中公文庫 S 18-14): 梶山雄一, 瓜生津隆真: 本

  • 龍樹と空(中観) (広済寺ホームページ)

    龍樹 龍樹は西暦150~250年頃の人で、ナーガールジュナ(Nagarjuna)といいます。デカン高原のクリシュナ川流域にナーガルジュナコンダ Nagarjunakonda(ナーガルジュナサーガル Nagarjuna Sagar)という地名があり、そこに有名な仏教遺跡がありますが、そこの出身ともいわれます。(筆者による旅行記あり) インドのバラモン(婆羅門)の学問をすべて習得したのち仏教に転向して、当時の上座部仏教と初期大乗仏教とを学んで大乗仏教に傾倒し、あまたの諸経典に通暁し、初期般若経典の空をもって大乗仏教の地位を確立した大論師です。 龍樹出現の意義 龍樹の功績はなんといっても、大乗仏教を体系づけ、理論武装して伝統的な部派仏教(小乗)に比肩するに値するものとならしめたことにあります。龍樹の出現がなければ、大乗仏教はただの異端な在俗信徒による俗信に留まっていたかもしれません。 龍樹の教学

  • Philosophy of Emptiness (Introduction)

    わたしは空の思想に関する解説書をしばらくおいて、自分の目で確かめることにした。つまりナーガールジュナ自身の書に直接いどむことにした。 空の思想の解説書の問題点 空の思想に関して、アメリカの著名な仏教学者リチャード・ロビンソン博士は、「この主題に関する幾つかの優れた研究を調べてみた結果、中観派について『わたしたちはまだ知らない』とはもう言えない」と語られた。中観派とは空の思想を説いたナーガールジュナ(竜樹あるいは龍樹と漢訳される2世紀の仏教哲学僧)の学派につけられた名前であるが、ロビンソン博士は、長年の多くの仏教研究者の努力の末、いままで最も難しいと言われていた中観派の空の思想の実体がついに明らかになった、と宣言されたのである。 しかし、わたしの経験はまったく逆であった。ナーガールジュナの思想に関する研究をいくら読んでも、いったい彼の説く「空」(スーニャタ)とは何なのか、いっこうに明確になる

  • 龍樹 - Wikipedia

    龍樹(りゅうじゅ、梵: नागार्जुन、Nāgārjuna、テルグ語: నాగార్జునుడు、チベット語: ཀླུ་སྒྲུབ、klu sgrub、タイ語: นาคารชุนะ)は、2世紀に生まれたインド仏教の僧である。龍樹とは、サンスクリットのナーガールジュナ[注釈 1]の漢訳名で、日では漢訳名を用いることが多い。中観派の祖であり、蓮如以後の浄土真宗では八宗の祖師と称される。龍猛(りゅうみょう)とも呼ばれる。 真言宗では、龍猛が「付法の八祖」の第三祖とされた[1][2]。龍樹が密教を説いたかどうかや、第五祖金剛智との時代の隔たりから、龍樹と龍猛の同一性を疑問視する意見もある[3][注釈 2]。 浄土真宗では、七高僧の第一祖とされ[4][5]龍樹菩薩、龍樹大士と尊称[6]される[7][8]。 鳩摩羅什訳『龍樹菩薩伝』[9][10][11]によれば南インドのバラモンの家に生まれ、幼

    龍樹 - Wikipedia
  • 空 (仏教) - Wikipedia

    仏教における空(くう、梵: śūnya [シューニャ]または梵: śūnyatā [シューニャター]、巴: suññatā [スンニャター][1])とは、一切法は因縁によって生じたものだから我体・体・実体と称すべきものがなく空しい(むなしい)こと[2][注釈 1]。空は仏教全般に通じる基的な教理である[2]。 原語・原義[編集] 原語はサンスクリットの形容詞 シューニャ(śūnya)、名詞形はシューニャター(Śūnyatā) で、後者は「空なること」を意味するため、しばしば空性と漢訳される[3][2]。śūnya は舜若(しゅんにゃ)と音写し、 śūnyatā は舜若多(しゅんにゃた)と音写する[2]。 シューニャ(サンスクリット語: शून्य, śūnya)は、śū (= śvA, śvi、成長・繁栄を意味する動詞)からつくられた śūna から発展し、「…を欠いていること」という

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