太 安万侶(おお の やすまろ)は、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族。名は安麻呂[1]とも記される。姓は朝臣。『和州五郡神社神名帳大略註解』巻4補闕に所収されている、久安5年(1149年)謹上の「多神宮注進状」によれば、小錦下・多品治の子とされる[2][3]。官位は従四位下・民部卿、贈従三位。 経歴[編集] 文武朝の大宝4年(704年)正六位下から二階昇進して従五位下に叙爵する。 和銅4年(711年)4月に正五位上に昇進する。同年9月に元明天皇から稗田阿礼の誦習する『帝紀』『旧辞』を筆録して史書を編纂するよう命じられ、翌和銅5年(712年)1月に『古事記』として天皇に献上した[4]。元明朝末の和銅8年(715年)従四位下に至る。 元正朝の霊亀2年(716年)太氏(多氏)の氏長となる。またこの間、養老4年(720年)に完成した『日本書紀』の編纂にも加わったとされる[5]。元正朝末の養老7年
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