弟橘媛(『前賢故実』)より 弟橘媛(おとたちばなひめ、生年不詳 - 景行天皇40年)は、『日本書紀』によれば日本武尊の妃。『古事記』では倭建命の后・弟橘比売命とする。 記紀の弟橘媛(弟橘比売命)[編集] 『日本書紀』によれば、穂積氏忍山宿禰の娘。日本武尊との間に稚武彦王を儲ける[1]。 さらに相模においでになって、上総に渡ろうとされた。海を望まれて大言壮語して「こんな小さい海、飛び上ってでも渡ることができよう」と言われた。ところが海の中ほどまで来たとき、突然暴風が起こって御船は漂流して渡ることができなかった。そのとき皇子につき従っておられた妾[2]があり名は弟橘媛という。穂積氏の忍山宿禰の女である。皇子に申されるのに、「いま風が起こり波が荒れて御船は沈みそうです。これはきっと海神のしわざです。賎しい私めが皇子の身代りに海に入りましょう」と。そして、言い終るとすぐ波を押しわけ海におはいりにな
![弟橘媛 - Wikipedia](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/219fe95186d635334e346c4f84f1ca8476d64767/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fupload.wikimedia.org%2Fwikipedia%2Fcommons%2Fthumb%2F1%2F19%2FOtotachibanahime.png%2F1200px-Ototachibanahime.png)