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primal-vowとbuddhismに関するnabinnoのブックマーク (3)

  • 他力本願 - Wikipedia

    他力願(たりきほんがん) 仏教用語。阿弥陀仏の願に頼って成仏すること [1][2][3]。浄土教・阿弥陀信仰にて使用される用語。#用法1を参照。 人まかせ、他人依存、成り行き任せの意[1][2]。#用法2を参照。 上記の双方の意味とも、『大辞林』・『広辞苑』などの辞書に採録される語意である。 来の意味が用法1の意味であることに異論を示す資料は見られないが、用法2の意味については『岩波仏教辞典』では「語の来の用法からして誤解である」[4]、『大辞泉』では「誤用が定着したものか」[2]と記載される他、『大辞林』のように意味の生じた経緯等について特に触れない辞書[5]もある。また、『新明解四字熟語辞典』のように、用法2の意味のみを語意として記載した後に「来は~」として用法1の意味を解説する辞書[6]もある。

  • 本願 - Wikipedia

    願(ほんがん、梵: pūrva-praṇidhāna, プールヴァ・プラニダーナ)とは、仏教において、仏や菩薩が過去において立てた誓願を指す。宿願(しゅくがん)とも言う。菩薩としての修行中に立てたもので、たとえば阿弥陀仏ならば法蔵菩薩としての修行中に立てられたものを言う。 原語のうち「プールヴァ」(pūrva)は「以前の」「過去の」、「プラニダーナ」(praṇidhāna)とは「誓願」(せいがん)[注 1]。 原始経典では「天国に生れることを希願する」というように用いられる。仏教の場合は、絶対者などに対して祈るのではなく、自己への祈りであり、願いである。その意味で、「真実の祈誓」(sacca-kiriyā)であり、真実の実行を意味する。いわば、悟りを開き仏陀たらんとする願いとその実行をいう。 菩薩の誓願[編集] 「仏や菩薩が過去において一切の生あるものを救おうとして立てた誓願」の意味が、

  • 悪人正機 - Wikipedia

    悪人正機(あくにんしょうき)は、浄土真宗の教義の中で重要な意味を持つ思想で、「“悪人”こそが阿弥陀仏の願(他力願)による救済の主正の根機である」という意味である。 阿弥陀仏が救済したい対象は、衆生[1]である。すべての衆生は、末法濁世を生きる煩悩具足の凡夫たる「悪人」である。よって自分は「悪人」であると目覚させられた者こそ、阿弥陀仏の救済の対象であることを知りえるという意である。 「悪人正機」の意味を知る上で、「善人」と「悪人」をどのように解釈するかが重要である。ここでいう善悪とは、法的な問題や道徳的な問題をさしているのではない。また一般的・常識的な善悪でもない。親鸞が説いたのは「阿弥陀仏の視点」による善悪である。 法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるが、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は悪人だと浄土真宗では教える。[2] 悪人 衆生は、末法

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