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takayoshi-saitoとsociologyに関するnabinnoのブックマーク (2)

  • 文化資本 - 株式会社参謀本部の社長ブログ

    ディスタンクシオンとは これは君のことを話しているのだ。この注意は読者に向けられていると同時に、社会学者にもまた向けられている。逆説的なことであるが、文化のさまざまなゲームは、そこに巻き込まれた人々が互いに相手を客観化しようとして行うあらゆる部分的な客観化行為のおかげで、かえってそれら自体は客観化されることから免れるという仕組みになっている。だから学者たちは、自分自身の真実をつかむことをあきらめるのでないかぎり社交家たちの真実をつかむことができないのだし、逆もまたしかりなのである。(P.ブルデュー『ディスタンクシオン』藤原書店) エリボン:そうすると知識人のはたすべき役割とは何なのでしょうか。 ブルデュー:それはもうはっきりしています。装置の言葉が覆い尽くし、装置という怪物が生んだ現実、その現実の理論的分析が欠如しているのです。要するに理論が不在なのです。スローガンや激しい呪詛は、あらゆる

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  • 美術館と芸術資本

    左の表は、ブルデューらがヨーロッパの主要美術館の観客に対し、好みの画家の流派や時代について調査した結果をまとめたものです。まず、「好きな画家」を挙名できるかどうかに階級差があることが分かります。庶民階級で好きな画家を挙名できた者は3分の1にすぎないのに対し、上流階級では8割が何らか の回答をしています。また、印象派の作家を挙げた者は各階級でそれほど差もなく存在しますが、(形式的要素への興味と中立化された対象関与などが鑑賞の鍵 となる) 現代絵画の画家を挙げた人の割合は庶民階級と上流階級とで3倍以上の開きがあります。 芸術資とは ブルデューは、現代美術のように高度に抽象化された絵画を「鑑賞できる」のは、生まれつきの先天的な才能によるよりも、どれくらい鑑賞に必要な知覚 を自分のものとして集められるかという、後天的な要素によるところが大きいと考えました。そしてこの鑑賞に必要な知覚は、財産のよう

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