ティムール(ペルシア語: تيمور Tīmūr/Taymūr, 1336年4月8日 - 1405年2月18日)は、チャガタイ・ハン国の軍事指導者で、ティムール朝の建国者[2](在位:1370年4月10日 - 1405年2月18日)。 中世アジアを代表する軍事的天才と評価され[3]、中央アジアから西アジアにかけてかつてのモンゴル帝国の半分に匹敵する帝国を建設した[4]。しばしば征服した都市で大規模な破壊と虐殺を行う一方、首都のサマルカンドと故郷のキシュ(現在のシャフリサブス歴史地区)で建設事業を行う二面性を持ち合わせていた[5]。 西欧で描かれたティムール ティムール朝の支配領域 「ティムール」という表記はアラビア文字の綴りに由来し[6]、ペルシア語による綴りに基づいて「ティームール」とも表記される。ペルシア語では「跛者のティムール」を意味する「タメルラング」「ティムーリ・ラング」「ティ