2012年9月7日 田中 宇 8月14日にサウジアラビアのリヤドで開かれたイスラム諸国会議(OIC)と、8月29日にイランのテヘランで開かれた非同盟諸国会議(NAM)という、中東、アジア、アフリカなどの発展途上諸国を集めた2つの国際会議が、中東の国際政治体制を大きく転換した。 (Egypt and Iran, new twin pillars) 以前の中東は、油田の安全を米国に守られたサウジと、ムバラク前大統領による独裁体制だったエジプトというスンニ派の2大国が、対米従属的な親米諸国として、米イスラエルが敵視するシーア派のイランと対峙する体制だった。79年のイラン革命以来、米国はスンニ派とシーア派の対立を煽る分断戦略で中東を支配し、サウジやエジプトは政権維持のため、米国の分断戦略に乗っていた。 しかし、リヤドでのOICで、主催国のサウジは、仇敵であるはずのイランのアハマディネジャド大統領を
CIAの発表したクルド人居住地域の地図 クルディスタン(クルド語 كوردستان / Kurdistan)は、中東北部の一地域。トルコ東部、イラク北部、イラン西部、シリア北部とアルメニアの一部分にまたがり、ザグロス山脈とタウルス山脈の東部延長部分を包含する、伝統的に主としてクルド人が居住する地理的領域のこと[1]。チグリス・ユーフラテス川の中上流域を中心に広がる山岳地帯である。面積は約392,000km2。 「クルド人の地/国」を意味する。ペルシア語ではコルデスターンといい、イランには同名の州コルデスターン州が存在する。イラクでは自治区のクルディスタン地域、シリアでは自治区のロジャヴァを構成する。 クルディスタンという名称は、12世紀にセルジューク朝のアフマド・サンジャルがエルデランに相当する地域(今日のイランのコルデスタン州とほぼ一致)に設置した州の名前として、初めて使われた[2]。
アブハジアと南オセチアを抜いた人口(2012年)は4,054,382人、面積57,200km2、人口密度70人/km2となる。 ジョージア(グルジア語: საქართველო、IPA: [sakʰartʰʷelo] ( 音声ファイル)、グルジア語ラテン翻字: Sakartvelo、カナ: サカルトヴェロ[3]、英語: Georgia)は、南コーカサスにある共和制国家。首都はトビリシである[4]。七大陸の境にあり、東ヨーロッパ[5][6][7]、もしくは西アジアに区分される[7][8]。北はロシア連邦、南東はアゼルバイジャン、南はアルメニアとトルコと接し、西は黒海に面する。 ロシア内戦中の1921年にグルジア民主共和国が赤軍に占領され、以後ソビエト連邦を構成するグルジア共和国とされたが、ソビエト連邦の崩壊に伴い1991年4月に共和国として独立を回復した[9]。 2008年、ロシア連邦が軍事侵
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く