ハリー・デクスター・ホワイト(Harry Dexter White、1892年10月9日 – 1948年8月16日)は、アメリカ合衆国の官僚、ソ連のスパイ。フランクリン・ルーズベルト政権の財務長官であるヘンリー・モーゲンソーの下で財務次官補を務めた。 生涯[編集] 誕生[編集] リトアニア系ユダヤ人移民の両親のもと、マサチューセッツ州ボストンで生まれた。高校を卒業後、職に就き、その後1917年にアメリカ陸軍に中尉として入隊し第一次世界大戦に従軍する。帰還後の1924年にコロンビア大学に入学し経済学を学ぶ。その後スタンフォード大学を経てハーバード大学とローレンス大学で経済学の助手として勤務した後、ハーバード大学の大学院に入り、1935年に博士号を得ている。1932年1月にラフリン・カリー(英語版)らとともにつくった覚書は財政政策においてはケインジアンの先駆け、金融政策ではマネタリストの先駆け