日本軍の仏印進駐について協議した富永恭次少将(右)デクー総督(中央)西原一策少将(左) 1940年5月のドイツ軍のフランス侵攻によりフランスが劣勢になると、日本軍内ではフランス領インドシナに対する対応が検討され始めた。6月15日には有田八郎外相が陸海軍大臣にフランスに対する要求案を提出し、17日には可決された[7]。同日、フランス領インドシナ政府は武器弾薬・燃料・トラックの輸出を禁止する措置を行う旨を日本側に通告したが、日本側の対応はかえって激しいものとなった[7]。6月18日、フランス領インドシナ政府に対する要求案が決定された[7]。 6月19日、日本側はフランス領インドシナ政府に対し、仏印ルートの閉鎖について24時間以内に回答するよう要求した[8]。カトルー総督は、シャルル・アルセーヌ=アンリ(フランス語版)駐日フランス大使の助言を受け、本国政府に請訓せずに独断で仏印ルートの閉鎖と、日
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