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ブックマーク / nagaikazu.la.coocan.jp (3)

  • 盧溝橋事件70周年によせて

    HOME→著作一覧→このページ 盧溝橋事件70周年によせて ―日中戦争から世界戦争へ― 永井 和 注:稿は、2007年12月15、16日に北京大学でおこなわれた国際シンポジウム「第2回 北京と京都──中日をつなぐ知の架橋」での報告 である。 はじめに はじめまして。永井和と申します。京都大学文学研究科で日現代史を教えております。この伝統ある北京大学におきまして、報告をおこなうことができますのは、私にとりましてこのうえない栄誉であり、その機会を与えていただきました皆様方に対しまして、あつくお礼申し上げます。 私が日現代史の研究をはじめましてから、ほぼ30年になります。最初の10年間は主として日中戦争期の日の対中国政策について研究しました。次の10年ほどは、明治憲法下の内閣と軍部の関係を、さらに最近の10年間は戦前の天皇のことを研究しております。それぞれのテーマについて一冊づつ専門書を

  • 日本軍の慰安所政策について

    2004年9月18日、ソウル大学校ジェンダー研究所と社会史研究会共催のセミナーでおこなった報告の原稿に、2005年6月12日に「追記」を付加した。2012年1月12日に補注1と注49への追記を加えた 日軍の慰安所政策について 永井 和 (京都大学文学研究科教授) この報告は、永井和「陸軍慰安所の創設と慰安婦募集に関する一考察」『二十世紀研究』創刊号、2000年をもとに、一部補足したものである。 はじめに 問題の所在 Ⅰ.警察資料について Ⅱ.陸軍慰安所の創設 Ⅲ.日国内における慰安婦募集活動 1.和歌山の誘拐容疑事件 2.北関東・南東北での募集活動 Ⅳ.地方警察の反応と内務省の対策 おわりに 補論:陸軍慰安所は酒保の附属施設 追記(2005年6月12日記) 注 はじめに はじめまして、永井和と申します。日の京都大学で日現代史を教えております。しばらくの間、おつきあいをよろしくお願い

  • 前近代日朝中国交関係の二つのモデル

    前近代日朝中国交関係の二つのモデル 永井 和 江戸時代の朝鮮および中国との国交関係は、これを歴史的に言えば、足利義満がはじめた室町時代の国交関係を基礎に、それを修正したものとみなせる。それを模式化すれば、次の「室町時代の日朝中国交関係」のようになるだろう(じつはこの図は完全なものとは言えない。このことは後述する)。 日と朝鮮の双方の君主(=対外的主権者)が明王朝の皇帝と直接に朝貢関係をもち、皇帝から日国王、朝鮮国王に任命された上で、両者が独自に国交を取り結んでいる。両者の国際的な対等性(「敵礼」)はともに中国の皇帝との関係によって保証されていることになる。これがノーマルな形での「交隣関係」であり、この関係は前近代東アジア世界の国際秩序である「中華帝国体制」に完全に組込まれたものとして実存していた。東アジア世界レベルの国際ルールと矛盾する点は少しもなかった。 ところが、江戸時代日の対外

    nagaichi
    nagaichi 2013/09/01
    以下、本文の主旨には沿わない戯れ言。明も清も基調は海禁だったけど、清のほうが遷界令などでより徹底した禁を布き、日本も江戸の鎖国に入るわけで、そのへんの疎隔は東アジアをよりドメスティックにしてしもたな。
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