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ブックマーク / chez-nous.typepad.jp (3)

  • 「政治的に中立」なんて、ありえない

    ぼくは、「政治的」な人も、「政治的」な議論も、大嫌いである。 けれどもそれは、「政治的である」ことがほとんどの場合、「ある立場を取る」こと、「その立場からものを言う」こと、そして「その立場へと人を誘導する(そして誘導されえない人を否定する)」ことと、同じだと思われているからであり、その限りにおいてである。 それに対し、来の(アリストテレス的な)意味におけるポリティカル、つまりポリス的である、善を志向するという意味において「政治」というものを理解するなら、誰の、どんな行いも政治的であらざるをえず、美や芸術についての言明ですら、政治的でないものなどありえない。 それでは「政治的に中立」とは、いかなることだろうか? 教育においては「政治的中立」が求められると言われるが、それはどのようなことだろうか? どんな事柄について何を言おうとも、根源的な意味でそれは「政治的」なのだとすれば、「中立」などと

  • 表現の自由

    表現の自由を口にするとき、私たちはすべてフランス人である。 ここで言うフランス人とは現実の一国民のことではなくて、啓蒙の急進主義を極端にまで押し進めそれを突き抜けてしまおうとする精神、それを突き抜けることで新しい共同体を作ることを信じる人々という意味である。この意味では現実のフランス国民の多くはフランス人ではない。 表現の自由とは、単にどこかにあったりなかったりする何かではなく、またある国では許されているが別な国では禁じられているような何かでもなく、誰にとっても、常に今ここにあるひとつの課題として存在する。 誰でも自分が心から崇敬する対象が揶揄され、からかいの対象になることは不愉快である。現代人の多くは「ポリティカリィー・コレクト(政治的に適切)」なので、他者の信念や信仰を尊重するからというよりも、たんに厄介な問題に巻き込まれたくないという理由から、そうした振るまいを避ける。 でもフランス

  • 人類は滅びた方がいい

    人類は滅びた方がいい。 先日横浜で、十数年ぶりに会った栗慎一郎さんは、くり返しこう仰った。かくも愚かで残虐な種族は、この宇宙にこれ以上存在し続ける意味がない。そういうことだろうか。 実はぼくもそう思う。「進歩」とか「発展」とか「持続可能性」とか、どんなに耳障りのいい言葉でゴマ化しても、そういうことを言っている人たちの多くは結局のところ、自分や自分の属する党派の利益しか考えていない。為政者たちもそれに反対する人々も、口先のバトルで勝つことしか考えていないし、思想家や批評家の多くも、自分がその論敵よりいかに頭がいいかを示すことしか興味がない。科学も芸術も最後は金儲けに回収され、その他のあらゆることもやっぱり金儲けに回収される。こんな世界を造り出した種族はホント、今すぐ消え去った方がいいと思う。 人類は滅びた方がいい。 けれど、栗さんに会ってこの言葉を聞き、ぼくは少しだけ元気が出たことも確か

    nagaichi
    nagaichi 2014/11/24
    次に繋いで滅びないと、自ら生み出した文明に対してさすがに無責任すぎる。早く妖精さんを生み出して、それからゆっくり衰退していけばいいじゃないか。
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