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ブックマーク / dongfang99.hatenadiary.org (5)

  • 「絆」の戦後史 - dongfang99の日記

    漢検の今年の漢字として「絆」が選ばれた事に関して、どこかの新聞で、いま人と人との結びつきとして理解されている「絆」は昔は否定的な意味であったという記事を読んで、「へえ、そうなんだ」と思い、ではいつ頃から肯定的な意味に変わってここまで普及するようになったのか、ということが気になって国会議事録や朝日新聞の記事タイトルなどを検索してみた。単に暇な時に興味があって調べたというもので、特に言いたいことや結論があるというわけではない。 確かに新聞や議事録などにおける1960年代頃までの用法を見ると、「絆創膏」「脚絆」(ゲートル)など以外には、身動きが取れない環境を指して、「羈絆(きはん)」などの意味で使われていることが多い。また、「封建的な絆」「悪弊のきずな」とか、束縛や癒着・結託といった明確に否定的が意味が込められることも少なくない。「絆を断ち切るべき」という表現も散見される。これは、家畜を繋ぎ止め

    「絆」の戦後史 - dongfang99の日記
    nagaichi
    nagaichi 2011/12/17
    もともとは「縶馬絆也」だもんねえ。
  • 「ポピュリズム」とは何を指すのか - dongfang99の日記

    先週「大阪W選挙」で圧勝した橋下前大阪府知事の政治手法は、「ポピュリズム」と称されることが多い。「ポピュリズム」は政治学者による研究の蓄積はあるようだが*1、政治学の教科書や事典でも物によっては項目がなく、一般には「有権者をバカにした人気取り政治」という否定的な意味合いがあるので、個人的にはこの言葉をほとんど使わないようにしている。しかし「橋下人気」の盛り上がりで、「ポピュリズム」の言葉をあちこちで目にするようになるにつれて、「ポピュリズム」と名指される事態が何であるのかについてあらためて気になったので、ここで簡単に触れてみたい。 「ポピュリズム」は、れっきとした民主主義をめぐる概念の一つである。たとえば、民主主義の考え方は、大きく二つに分けることができる。一つは、様々な利害や価値観をもった個人や集団の間の対立や話し合い妥協のプロセスであると考えるものと、もう一つは住民や国民全体が共有する

    「ポピュリズム」とは何を指すのか - dongfang99の日記
  • 地雷を踏むような状態 - dongfang99の日記

    政治的な選択肢は完全に行き詰っているように見える。どんな政策をとろうとしても、政治家にとって地雷を踏むような状態にある。 たとえば、年々膨れ上がる社会保障費のために税負担を要求すると、「デフレ不況下の増税はとんでもない」と言われ、では金融緩和や財政出動をしようとすると、「国債の金利が上昇して財政破綻」とか「これ以上将来世代にツケを回すべきではない」と言われ、公共事業や再分配政策で需要を喚起しようものなら、「国民を馬鹿にしたバラマキ」などと轟々たる非難を浴びてしまう。規制緩和や民営化による成長戦略はリーマンショック以降に説得力を失い、かといって北欧のようにセーフティネットを分厚く張ろうという主張も、そもそも現状の薄い社会保障の財源調達でさえ青息吐息であることを考えると、現実にはほとんど絶望的である。震災による財政圧力が厳しくなったことで、こうした行き詰まりは、これ以上なく悪化していると

    地雷を踏むような状態 - dongfang99の日記
  • 日本の首相が頻繁に交替する理由 - dongfang99の日記

    中国人が見た日>なぜ日は首相がコロコロ代わっても安定が保たれているのか? http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=53920 菅直人首相が26日、正式に退陣を表明、新しい首相が30日に誕生する。この10年、日の首相が走馬灯のように頻繁に代わることはもはや日常茶飯事になっている。誰もが認める強硬派、小泉純一郎氏の在任5年を除き、他はみな短命に終わった。ところが、驚くべきことに日は「首相がコロコロ代わる」という頑固な病を露呈したにも関わらず、社会の安定は全く変わらない。政府の運営にもさほど大きな影響はないようである。 第2次世界大戦以降、先進国の中でリーダーの任期が最も短いのは日だ。首相の平均任期は26カ月。これに対し、ドイツは88カ月だ。戦後、日は少なくとも31回首相が代わった。だが、米国、英国、フランス、ドイツは少ない国で

    日本の首相が頻繁に交替する理由 - dongfang99の日記
  • 「リーダーシップがない」にうんざり - dongfang99の日記

    毎日聞かされる「リーダーシップがない」という批判に心底うんざりしている。当によくわからないのだが、「リーダーシップがない」「だらしがない」という不満を持つ人は、「俺だったらすぐできる!」という自信があるからそう批判できるのだろうか。自分の場合、菅首相よりはるかに悲惨な姿になる結果しか想像できないのだが・・・。 そもそも、「リーダーシップがある」という状態が、自分は今一つイメージできないのである。どこの国のどの首相や大統領が「リーダーシップがある」のだろうか。たとえば、小泉元首相はリーダーシップがあったのだろうか。彼は確かに国民的人気があり、それにぶら下がる自民党員はたくさんいたと思うが、党員の大多数がそのリーダーシップにつき従っていたとは到底思えない。むしろ、選挙に勝つための看板、お飾りくらいにしか考えておらず、心の底では小馬鹿にしていた自民党員も多かったことは、福田政権以降の経緯を見れ

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