ブックマーク / blog.tinect.jp (65)

  • 成功するためには「人を疑うことはコスト」と知れ。

    なぜ人は、自己啓発を手にとっては胸を熱くするのに、1日も経てばきれいサッパリ忘れてしまうのだろう。 そんな疑問に答えをくれた、忘れられない一人の偉人がいる。 鉄鋼王と呼ばれた19世紀のアメリカの大富豪、アンドリュー・カーネギーだ。 貧しい移民の家庭で育った彼は、13歳から低賃金の下働きを始めると懸命に働き、やがて才能を開花。 米国史上2番目の大富豪と呼ばれるほどに巨万の富を積み上げ、アメリカンドリームを掴んだ人物として知られている。 そして彼は、自分の死後、墓石にこんな言葉を刻むよう遺言して息を引き取った。 “Here lies a man who was able to surround himself with men far cleverer than himself.” 意訳すると、「己より遥かに優れし人物を集める術を心得しもの、ここに眠る」と言ったところだろうか。 はっきり覚え

    成功するためには「人を疑うことはコスト」と知れ。
    nakz1979
    nakz1979 2019/04/16
    新任の部長が半年経っても、ハイパー性悪説過ぎて大変。。何をするにも「もし悪意のある第三者が~」と必要以上(異常)な調査、対策を求めてくる。。タスケテ!! こういう時どうすればいいんだろ
  • ギャラリーフェイクの23巻が最高なので皆さんに全力でお勧めします。

    皆さんこんにちは、しんざきです。 美術といえば、お絵描き伝言ゲームとでもいうべき「テレストレーション」というゲームがありまして、あるワードを表現した絵を描いては隣の人にまわしていって、最初のワードを当てれば勝ちという協力ゲームなんですが、私がそれに参加すると「お前が絵を描くと時空がゆがむ」とか「しんざきが参加するだけでゲームの難易度が50レベルくらい跳ね上がる」とか「お前の絵で地球がヤバい」とか、大抵非難ごうごうになるのが悩みです。何故なんでしょうね。絵を描くこと自体は実は割と好きなんですけどね、私。まあ美術の成績は散々でしたが。 今日は皆さんに、「ギャラリーフェイク」23巻がいかに面白いのか、更にその中でも「もう一つの鳥獣戯画」のエピソードがいかに最高なのかということ、ただそれだけを、情けも容赦も手加減もなく全力でお話したいと思います。よろしくお願いします。 未読の方は、取り急ぎ23巻だ

    ギャラリーフェイクの23巻が最高なので皆さんに全力でお勧めします。
    nakz1979
    nakz1979 2019/04/08
    ビューティーフゥーラーイフ♪ アニメ版のOPもこれまた名曲で。
  • 基準を明確に示さないマネジャーは、存在している意味がない。

    品質管理のコンサルティングをしていた頃の話。 重要プロセスの一つに「協力会社の管理」があった。 協力会社の選定、評価、パフォーマンスの監視、再評価の4つについて、それぞれ基準を設けて、その基準に従って運用ルールを作り、それを実施する、という極めてシンプルなものだ。 したがって、我々は部門の責任者と担当者に、現在運用されている基準を最初に必ず確認していた。 ところが、中小企業はおろか、それなりに大きな企業であっても、この「基準」が個人の感覚に依存しているケースがとても多いことに驚いた。 例えば、現場責任者の課長にインタビューしても、こんな具合である。 「資料を見ると、R社に相当の仕事を外注されていますね。」 「そうです。」 「なぜ数ある会社の中から、R社を選定したのですか?」 「取引先の紹介です。評判が良かったので。」 ここまでは、まあ、普通である。 だが、詳細を聞いていくと、雲行きが怪しく

    基準を明確に示さないマネジャーは、存在している意味がない。
    nakz1979
    nakz1979 2019/04/03
    で、使えもしない規約が出来上がった頃に、コンサルさんは居なくなって、あとは知らんでしょ??言語化が必要な理由も解るけどさ〜
  • インターネットで18年間文章を書き続けた僕が、異世界モノを書くとこうなる。

    「インターネットに文章を書くということ」 インターネットで文章を書くようになって18年になる。もはやベテランと言っても過言ではないだろうか。 18年も書いてきて、そこそこにお金を貰って書くようになり、好きですと言ってくれる人がいたり、連載をもったりするようになった。 手が回らなくなって断る仕事も出てきたくらいなのだから、この18年は決して無駄ではなかったように思う。ただ、18年間ずっと思い続けていたことがある。それが「才能」に関することだ。 僕は「才能」という言葉があまり好きではない。 才能とは言い訳の言葉だ。可能性に溢れた煌びやかな単語のように見せかけて、「あの人は才能があるから」「自分は才能がない」「いいよな、才能があるやつは」などと、ネガティブな意味で使われることが多いからだ。 人は誰かと自分との差異を慰めるために「才能」という言葉を使う。 諦めるために「才能」という言葉を使う。

    インターネットで18年間文章を書き続けた僕が、異世界モノを書くとこうなる。
    nakz1979
    nakz1979 2019/03/05
    どうせ、最後ウンコ漏らしてたってオチにするんだろなーと思ってたが普通だった。
  • 「謝ってるから許しなさい」という言葉の理不尽について。

    ちょっと前の話なんですが、Twitter界隈で、「謝ってるから許してあげなさい」というのは理不尽だよね、という議論が盛り上がっているのを観測しました。 「謝ってるから許しなさい」他人を許すことを強要する教育に違和感…謝ったのに許してくれないという思考が生まれる原因にも。大人はどう対応すべきなのか? 「謝ってるから許してあげなさい」という教育当に害悪だと思う。許すか許さないかはその人にしか決められないし、相手を許せない自分に罪悪感を覚える必要もない。 — Nikov (@NyoVh7fiap) 2018年12月25日 上のまとめは、色んなスタンス、色んな意見を無差別にまとめる形になっていると思うのですが、この記事で書くのは「twitterの流れをトリガーにした上での、私が勝手に考えたこと」です。 特にまとめを踏まえたものになっていないことはご了承ください。 *** 子どもの頃、「ほら、〇

    「謝ってるから許しなさい」という言葉の理不尽について。
    nakz1979
    nakz1979 2019/01/25
    とても素晴らしい。けれども、しんざき先生が過去に学んだような理不尽な状況を体験する事なく行ってしまわないかな? 自分は引越しが多かったから、おらが地元が日本一的な気持ちが未だに理解できない
  • 「教える」という体裁をとると、自分ひとりで問題を解く時よりも、遥かにスムーズに解けるようになる、という話。

    ホーム > 「教える」という体裁をとると、自分ひとりで問題を解く時よりも、遥かにスムーズに解けるようになる、という話。 ちょっとした話なんですが、次女の宿題を見ている時、面白いことに気付きました。 それは、一言で言うと、「「ぬいぐるみに教える」という体裁をとると、自分ひとりで問題を解く時よりも、遥かにスムーズに解けるようになった」ということです。 順を追って書きます。 長男長女次女は皆同じ小学校に通っているのですが、そこそこ教育熱心な小学校でして、宿題も1年の頃から割としっかりと出ます。 今、長女次女は繰り下がりのある引き算の仕上げをやっておりまして、結構な問題数が並んだプリントと、3日に1回くらいのペースで格闘しています。 何度か書いているのですが、算数というのは純然たる積み重ねでして、積んでいないブロックの上に次のブロックを積もうとするとバグります。 例えばの話、桁数の概念を理解しない

    「教える」という体裁をとると、自分ひとりで問題を解く時よりも、遥かにスムーズに解けるようになる、という話。
    nakz1979
    nakz1979 2019/01/18
    うちは、自分がぬいぐるみ役やってたわ。教えてもらったように説明してもらうの、解って無さそうなとこは、なんで?って質問してみたり。4流大出やからプライドなんてあらへんし
  • 日経新聞ですらwebでフェイクを流す時代には、一般常識としての「ファクトチェックスキル」が求められる。

    「吾輩はである。名前はまだない。」という書き出しから始まる夏目漱石の「吾輩はである」を知っている人は多いと思う。 しかしこの物語を実際に手に取り、冒頭を読み始めたところで、 「この作者、いきなり何言ってんの?がしゃべるわけ無いじゃん」 と、冷めた感想を持ったことがある人はいるだろうか。 いるとすれば、その人は天才かもしれないが、多くの場合は社会生活を営む上で不自由さを感じる事が多いかも知れない。 多くの人の感性では、「なるほど、主人公はなんですね」という設定を素直に受け入れ、世界観に入りこむことが人の常だからだ。 つまり人は、物語を手にとった瞬間から、どんな突拍子もない設定をされたところで、それを物語として受け入れる準備ができているということになる。 しかしこの、「素直に受け入れる」という人の機能。時として非常に困った問題を引き起こす。 なぜなら、このような作用が脳内で働くのは、何

    日経新聞ですらwebでフェイクを流す時代には、一般常識としての「ファクトチェックスキル」が求められる。
    nakz1979
    nakz1979 2019/01/09
    とある軍人さんが「情報には、発信者のベクトルが含まれている、それを差し引いて考えろ」と。自分は「~という事にしたい」と語尾に付けて見るようにしてるが、どうやろ?
  • 「こじらせ高学歴」が、学歴から自由でいられる方法について。

    この記事で書きたいことは、 ・東大をはじめとする高学歴エリートの中には、「周囲からの評価・期待」と「自己評価・プライド」と「実際の自分の能力」それぞれのギャップに苦しんで、自意識をこじらせてしまう人がそれなりの数いる ・高学歴の人にも当然得意分野と苦手分野というものはあり、苦手分野については人並みかそれ以下の能力しかない ・けれど、「高学歴」というラベルが能力全般について勘違いさせてしまう効能は割と強い ・高学歴による精神的バフで苦手分野に思い切り突っ込むのはこじらせ道への第一歩 ・学歴なんてただのツールなんだから、使える場面では使うし使えない場面では忘れる、くらいのスタンスでいた方が楽だよね 大体上記のような内容になります。よろしくお願いします。 ということで、言いたいことは最初に全部書いてしまったので、後はざっくばらんにいきましょう。 先日、こんな記事を拝読しました。 東大・京大・早慶

    「こじらせ高学歴」が、学歴から自由でいられる方法について。
    nakz1979
    nakz1979 2018/12/27
    しんざき先生が、妙なセミナー宣伝していて残念。 (違
  • 組織に染まってない人の、染まってない意見を客観的に受け取れるかどうかは、その組織の自浄能力のバロメーターですよね。

    ホーム > 組織に染まってない人の、染まってない意見を客観的に受け取れるかどうかは、その組織の自浄能力のバロメーターですよね。 どうもしんざきです。 いきなり関係ない話で恐縮なんですが、私、人の顔と名前をセットで覚えることが致命的に苦手でして。 最近新人さんが増えてきて私が知らない顔が多くなる一方、何故か相手からは自分の顔を知られているので、しょうがなく廊下でもエレベーターホールでも、見たことがある顔に対して無差別で挨拶していたんです。 そしたらどうも、同じフロアの隣のオフィスの人にもかなりの頻度挨拶をしてしまっていたらしく、全く無関係の会社と認識している人にまで最近挨拶をされるようになりました。 絶対「あの、よく分かんないけど取りあえず挨拶してくる人」って認識されてる。つらい。帰りたい。 それはそうと。 この記事で書きたいことは以下の通りです。忙しい方は下記四行だけ読んでください。 ・新

    組織に染まってない人の、染まってない意見を客観的に受け取れるかどうかは、その組織の自浄能力のバロメーターですよね。
    nakz1979
    nakz1979 2018/11/19
    中途入社パターンで「自らの有能さをアピールしたいだけ」、「本当に会社を良くしたいと考えてる」 前者の場合、どうするのが正解か未だに解らない、、
  • 個人の「マルチタスク耐性」の能力差について分析する。

    人間には、「マルチタスク耐性」とでもいうべきステータスがあるような気がしています。 マルチタスクというのは、皆さんご存知の通り、やらなければいけないことが複数同時に存在する状態です。 今まで色んな人と一緒に仕事をする中で、タスクが大量に降りかかってくるタイミングには山のように遭遇してきました。 上席の人が適切にマネジメントをしてくれたこともあれば、マネジメントというものがほぼ素通りの水道管のような感じで、未整理のタスクがどかすか頭上に墜ちてくるだけ、ということもありました。 あれは辛いです。クレイジークライマー大往生って感じです。 で、タスクが複数同時並行で走る状況を、自他問わず複数回経験してきたことで、なんとなく 「マルチタスクに対応出来る人」 「対応が苦手な人」のレイヤーが見えてきたように思います。 仮に 「同じような粒度のタスクが3,4個一遍に降ってきた」 「しかも業務的な優先順位は

    個人の「マルチタスク耐性」の能力差について分析する。
    nakz1979
    nakz1979 2018/11/13
    これは、ミニ四駆に学んだ気がする。新しい車体はモーター馴らしながら、組み立てながら、肉抜き、ホイール、ローラー、空力を考えながらってね。結果は3時間並んで電池抜け落ちてリタイアだった小6の夏。
  • 街のゲーセンで知り合った友達が、亡くなったと聞いた。 | Books&Apps

    ちょっと、ごくごく私的な話をさせてください。 単なる思い出話の類であって、特に建設的な話には着地しません。 40も近くなってくると、昔の知人の訃報を聞くこともぽつぽつと出てきます。 私は学生時代、かなり長いこと名古屋に住んでいたので、名古屋の頃の知人が亡くなった、あるいは少し前に亡くなっていた、という話を聞くことも、時折あります。 といいますか、「便りがないのは良い便り」とはよくいったもので、「ふと聞こえてくる話」というのは大抵訃報です。以前、お世話になっていたバーのマスターの訃報に接したのもそんなパターンでした。 それと同じような話で、少し前のことなんですが、「かつてのゲーセン友達」の訃報を聞きました。 聞いたのは全くの別ルートからで、亡くなった人の話を聞いて「あれ、もしかして…」と思い、色々とルートを辿って確認してみたら当人だった、という感じです。 亡くなったこと自体もう数年前のようで

    街のゲーセンで知り合った友達が、亡くなったと聞いた。 | Books&Apps
    nakz1979
    nakz1979 2018/11/06
    俺もあそこが唯一の居場所だった。ノートへ負けた言い訳や架空の彼女自慢書くと、空欄にもらえる返事。。あの自己承認感が無ければどうなってたことか。。
  • 部下が報連相しない理由は、上司に報告・連絡・相談するメリットがなにも無いから。 | Books&Apps

    ちょくちょく自省します。 皆さん、報連相してますか?ないし、されてますか?新入社員の時に口酸っぱく言われましたよね、報連相。ポパイかよって感じでした。 例えば、自分のタスクの進捗状況、あるいは進捗の不調を上司に共有することは大事です。 リスクを早め早めに共有することも重要ですし、課題について手が打てる内に上司相談することも大変重要です。 「進捗ダメです」なら、ちゃんと「進捗ダメです」と言わないといけません。 リスクを自分ひとりで抱えていることは、その人にとっての不利益にもなります。 リスクを報告していれば「言ったやん」と言えるところを、リスクを共有していなければ「なんでこんなことになるまで一人で抱えこんでたんや」という話になる。リスクを報告することは、責任を移転することでもある。 だから、報連相は「プロジェクトの為」でもなく「会社の為」でもなく、なにより「自分の為」である。 うん、いや、

    部下が報連相しない理由は、上司に報告・連絡・相談するメリットがなにも無いから。 | Books&Apps
    nakz1979
    nakz1979 2018/10/16
    "残念ながら当時、私はYさんに意見出来るような立場ではなく" 答え解ってて助言/協力しないしんざき先生は、今回だけは会社/社会への背反行為では?難しいは理解するが、こういう解ってたんだけどーはズルくない?
  • 正義の心で怒る人たちは、なぜ幸せになれないのか。 | Books&Apps

    少し前にろくでなし子さんが怒りについて言及されており、大変に感服したので下に引用させて頂く。 数年前、ツイフェミの人達が「もっと怒っていいんだよ。」と最初に言い始めた頃、わたしは共感してた。でもそこから怒りの歯止めが効かなくなりだし、一緒に怒らない人まで許さず、どんどん過激化し、「ジャップオスはシネ」と言うようになり果てる人まで現れ、「怒り」は人を狂わせると思った。 — ろくでなし子 祝デコまん無罪確定! (@6d745) 2018年10月1日 実際、怒りはとても扱うのが難しい感情だ。 なぜ怒りは人を狂わせるのだろうか?この構図をキッチリ認知する事は、あなたの人生にきっととても役に立つだろう。 というわけで今日は怒りが人を狂わせるシステムについて書いていこうかと思う。 自分は被害者だと思ってしまうと、どんな事でも自分に正義が見いだせてしまう 人は様々な事で怒る。失礼な扱いを受けたり、他人と

    正義の心で怒る人たちは、なぜ幸せになれないのか。 | Books&Apps
    nakz1979
    nakz1979 2018/10/15
    諸悪の根源は貧困だ。手元のスマホに、自身と異なる正義が入り込んでくると反応しちゃうんだろう。かつてはゴルフ場や飲み屋なりの、「普段とは別の場所」が存在してたが、貧して誤魔化すことが出来なくなった。
  • 大学の先生ですら無意識に「フェイクニュース」に加担してしまう時代に。

    突然だが、昭和生まれの世代であればよく耳にした“道徳的な言葉”に、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」というものがあった。 慶應義塾の創設者であり、1万円札の肖像にもなっている福沢諭吉の言葉として紹介され、要旨「人類は皆平等であることを説いた偉い先生」という引用のされ方をされたが、記憶にある人も多いだろう。 だが言うまでもなく、この解釈はあらゆる意味で誤りだ。 ネット社会の普及でこのフェイクは広く知られるようになったが、念のためにおさらいしておきたい。 今、私の手元に、福沢諭吉の著した「学問のすゝめ」がある。 最初のページをめくると、明治13年7月30日に福沢が記した巻頭書きがあり、それに続き編が始まるが、その書き出しが、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと言えり。」だ。 福沢を、人類平等を説く思想家と解釈した人はこの下りを誤解したのかも知れないが、ここは「言えり」なので

    大学の先生ですら無意識に「フェイクニュース」に加担してしまう時代に。
    nakz1979
    nakz1979 2018/10/03
    いや、全てが正しい情報で、『世の中に飛びかっている情報ってものには必ず「ベクトル」がかかっているんだ』(byバグダッシュ)って事を頭に入れておくべきだと思うのですよ
  • 「なんで誰も結婚せんねや!」と、母が怒って言った。

    所用があって、昔住んでいた町に立ち寄った。 その時にはもう、私が生まれ育った家はなくなっていたし、近所に住んでいた友人たちもほうぼう散って、そこは故郷でも、私のよく知る町でもなくなっている筈だった。 それでも見慣れた下町の風情や、昔はピカピカしていたマンションが、ベランダに干された洗濯物や布団といった生活に垢じみているのが目に入ると、ちょっとした郷愁が湧き起こって、私は昔よく遊びに通った神社に立ち寄ることにした。 もう日暮れ近い。玉砂利に夕日が差している他は、境内には誰もいなかった。 殿の脇にある、小さな稲荷の祠の前での親子がのんびりと毛づくろいをしている。 後ろで自転車が止まる音がした。 奇妙な予感にとらわれて振り返ると、少し離れた場所に、やせ細った骸骨のような老婆が自転車に乗ったままこちらを見ていた。 老婆は目を細めて私の顔を見ている。何かを言いたそうにサドルの上でもじもじとしてい

    「なんで誰も結婚せんねや!」と、母が怒って言った。
    nakz1979
    nakz1979 2018/08/17
    他の記事のせいで、いつナイトメアアナルの話が出てくるのかと、身構えるようになってしまったではないか。
  • 摩擦を恐れる人も多いけど、実は間違いを指摘することも、立派なマナーなんだ。

    道徳教育の場面において「女王のフィンガーボウル」というエピソードがしばし登場する。 これはイギリスの女王、ヴィクトリアの有名な逸話から引用したものだ。 女王がある国の貴族を招いて事会をした際、手を使ってべる料理が出された。 当然、その際に指を洗うフィンガーボウルも出されたが、招かれた貴族は文化の違いからそのフィンガーボウルの使い方が分からず、飲料水だと思って中の水を飲んでしまったのだ。 しかしながら、女王はそのマナー違反に対して意外な行動をとった。怒るでもなく、間違いを指摘するでもなく、笑い者にするでもなく、気分を悪くするでもなく、全く別の行動をとったのだ。 それは、自らもそのフィンガーボウルの水を飲むことだった。まるでこの水の使い方はそれで正解だと思わせ、来客に恥をかかせることなく和やかな雰囲気で事会を終えることができたのだ。 女王のとった行動は大きなマナー違反であるが、これは形式

    摩擦を恐れる人も多いけど、実は間違いを指摘することも、立派なマナーなんだ。
    nakz1979
    nakz1979 2018/08/10
    これはもはやテロ。記事の前半しか読まないで、部内に展開する部長へのテロ。
  • 桂歌丸に学ぶ「理不尽な言いつけ」の返し方。

    先日亡くなられた、落語家の桂歌丸さん。 歌丸さんの弟子だった桂歌助さんが、著書『師匠歌丸』のなかで、こんなエピソードを紹介しています。 前座見習いとして寄席の楽屋に出入りする前だったと思う。 歌丸のかばん持ちとして出かけたときのこと。交差点で歌丸が足を止めた。 「歌児(前座のときの歌助さんの名前)、あの信号の色は何色だ?」 「赤です」 「赤じゃなくて、あれは青だ」 何を言い出すのかと思ったが、師匠の言うことは絶対だ。歌丸だから、というわけではない。落語の世界では、先輩や師匠が言ったことに盾をついてはいけないのが常識だ。 だからわたしは「すみません、青でした」と答えた。 「そうだ青だ。だから渡りなさい」 目の前を車がひっきりなしに通り過ぎていく。ここは渡るべきか。渡ったら交通事故に遭うだろう。歌丸は止めてくれるのか? 躊躇しているうちに信号が青に変わった。 「歌児、いいかい、こういうときは”

    桂歌丸に学ぶ「理不尽な言いつけ」の返し方。
    nakz1979
    nakz1979 2018/08/01
    この記事が無ければ、この本を買う事は一生無かった。届くの楽しみ!
  • 貴重なノウハウの宝庫である「失敗談」を語ってくれる人に、わざわざマウントしに行く、残念な人たち。

    最初にまとめると、この記事で言いたいことは下の三点になります。 ・世の中に成功談は多いが、当に参考にすべき失敗談は極めて観測しにくい ・成功談よりも失敗談の方が、再現性、リスク把握、リスク回避などの観点から、ノウハウとして貴重である ・我々は失敗談をもっと評価するべきであり、失敗談を語ってくれる人を大切にするべきではないか 以上です。よろしくお願いします。 さて、最初に言いたいことは全部まとめてしまったので、あとはざっくばらんにいきましょう、 世の中には、いわゆる「成功談」とか「成功体験の記録」「成功者へのインタビュー」といったものが山ほど転がっています。 石を投げれば成功体験にぶつかる、と言ってもいいくらい、Webではたくさんの成功談を観測出来ます。 何故かというと、「人は基的に自分の成功談を語りたがる」上に、「人は基的に成功談を喜んで聞く」からです。 需要と供給が共にあるのですか

    貴重なノウハウの宝庫である「失敗談」を語ってくれる人に、わざわざマウントしに行く、残念な人たち。
    nakz1979
    nakz1979 2018/06/28
    「255倍」というキリの悪い数字の元ネタは何?? FF3かな? 256倍ならキリがいいのにー もやもやする。
  • 伝えたいことを、きちんと伝えることができる機会は、そう多くはない。

    あ、これはじいじの匂いだ、と思った。 ちょっと個人的な昔話を書かせて欲しい。ここにあるのは単なる私の過去の断片であって、それ以外のものは何もない。 昔から、子どもの頃の記憶が薄い。私はどうも、ちょっと記憶力が故障気味であるようで、自分が子どもの頃の光景をかなり断片的にしか覚えていない。 印象的な言葉、印象的な光景というものを全く残していない訳ではないのだが、ある程度連続した記憶がきちんと残り始めているのは、ほぼ中学に上がって以降のことだ。 人と話していると、皆はそんなに小さい頃からちゃんと連続した記憶があるのか、と驚くことがある。 私が断片的に覚えている一番古い光景は、大きな犬の背中に揺られて、近所の駄菓子屋に通っていた頃の記憶だ。 近所に仲の良いおじさんがいて、そこでは大きな犬を飼っていた。小柄だった私は、時折その犬の背中に乗せてもらっていたようだ。恐らく当時、幼稚園に入ったばかりとか、

    伝えたいことを、きちんと伝えることができる機会は、そう多くはない。
    nakz1979
    nakz1979 2018/06/07
    うちも世界で唯一の味方だった婆ちゃんに、仕事が忙しいって理由でほとんど逢えぬ、永遠に逢えなくなった。ホントごめん。でも、その後悔の念ってのが、私の生きる原動力なってたりもする。
  • なんで公園には、いつのまにかBB弾が自然発生してるの?

    かつてアリストテレスは、種々様々な動物を観察した結果、「生物は無生物から自然発生し得る」と結論付けた。これを自然発生説と呼ぶ。 虫は草の露から生まれ、イカは海底の泥から生まれ得ると提唱したのである。 今でこそ荒唐無稽に思える説ではあるが、まだ生命発生のメカニズムが解明されなかった時代、この説は強く支持されるに至った。 そして、17世紀のフランチェスコ・レディ、19世紀のルイ・パスツールの実験等によって否定されるまで、実に2000年以上の長きに渡って広範な信奉を受けるに至ったのである。 これは決して、「かつての科学者、哲学者たちが無知であった、愚かであった」などという話ではない。 我々が今、「生物の自然発生説は誤っている」と断言できるのは、観察手段の発展を背景にした、数々の実証実験の存在があるからだ。 逆に言えば、それら実験を行うことが出来なかった時点では、自然発生説を覆す材料こそが存在しな

    なんで公園には、いつのまにかBB弾が自然発生してるの?
    nakz1979
    nakz1979 2018/05/09
    「薄っぺらな知識で、次女が自分の力でたどり着いた結論を簡単に否定していい筈がない」これこれ、こういう思考のしんざき先生、すごく好き。