タグ

関連タグで絞り込む (1)

タグの絞り込みを解除

コミュニケーションに関するnama_tsuyamaのブックマーク (2)

  • NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 対話とは「違い」であり、「非対称」である

    中原淳(東京大学准教授)のブログです。経営学習論、人的資源開発論。「大人の学びを科学する」をテーマに、「企業・組織における人の学習・成長・コミュニケーション」を研究しています。 ずっとずっと前に読んだ柄谷行人氏の著作を今日ひょんなことから読み直して、偶然、下記の記述を見つける。 --- 私は、自己対話、あるいは自分と同じ規則を共有する者との対話を、対話とはよばないことにする。対話は、言語ゲームを共有しない者との間にのみある。そして、他者とは、自己と言語ゲームを共有しない者とのことでなければならない。 「探求I」柄谷行人 --- 対話とは、予定調和の、お仕着せの会話ではない。また、それは仲良しクラブの雑談ではない。 対話とは「違い」であり、「非対称」である。 そして、他者とは抜き差しならぬ「異人」である。

  • NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 中高年男性は対話下手!?:北川達夫×平田オリザ「ニッポンには対話がない」

    中原淳(東京大学准教授)のブログです。経営学習論、人的資源開発論。「大人の学びを科学する」をテーマに、「企業・組織における人の学習・成長・コミュニケーション」を研究しています。 北川達夫×平田オリザ「ニッポンには対話がない」を読んだ。「学びとコミュニケーションの再生」という副題が、興味をそそった。 特に「中高年の男性が対話ができない」「経験の絶対化は危ない」という指摘が印象的だった。 長くなるが、下記に北川さんと平田さんの対談部分を記す。 ▼ 相手が自分より立場が弱かったり、経験が少なかったりするような場合に、その宛の意見を押さえつけるような発言をしたり、意見をまったく聞かなかったりという、コミュニケーション能力の乏しさでいえば、日では、いまの子どもよりも、中高年の男性たちに問題があると思いますね。 彼らは、人の意見によって、他者と出会って、自分が変わると言うことを全く想定していませんか

    nama_tsuyama
    nama_tsuyama 2009/05/06
    上から目線のこと。「君子豹変す」
  • 1