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2009年2月8日のブックマーク (5件)

  • Econviews-hatena ver.∞

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    namawakari
    namawakari 2009/02/08
    “経済停滞が深刻であるのならば、予想主体に足元を見られるような小出しの政策決定・発表を継続して行ったとしても大きく公衆の期待を反転させることは難しい”
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    ハリイカの焼売と中華炒め ハリイカをよく、見かけるようになりましたよ。生け簀で、泳いでいたものを一杯購入しました 立派な大きな墨袋や肝は冷凍保存して 柔らかな身は季節のお豆、お野菜と合わせて中華の炒めものに。新鮮なにんにくの茎は刻み、香り高く欲そそられますね 下足はミンチにし…

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    namawakari
    namawakari 2009/02/08
    “福耳先生って、一言で言うと「他人の感情に鈍感だけど、自分の感情に敏感」な傾向が強いような”/内輪にだけ通用する罵倒ネタは批判されても仕方ない、か。批判する側の罵倒も含めて。
  • ボランティアのジレンマ - Essay, dated.

    授業でこの前「ボランティアのジレンマ」という実験をやってみた。例えば次のような状況を考えてみる。 夜中に誰かの「助けて」という叫び声で目が覚めた。あなたには二つの選択肢がある:(1)警察に電話をかける、(2)ベッドから出るのが面倒なのでまた寝る。さて、近所の誰か1人でも警察に電話をすれば、この助けを求めている人は無事に保護されることになる。しかし、誰も警察に電話をしなければこの人は殺され、あなたは次の日の新聞を見て後悔することになる。 あるいは、こんな状況。 道端に誰か初老の男性が倒れている。あなたは(1)彼に声をかけて必要なら救急車を呼ぶことができるし、あるいは(2)無視して通り過ぎることもできる。あなたに限らず誰か1人でも(1)を選べばこの男性は助かるが、だれもそうしなかった場合は、あなたはやはり次の日の新聞を見て後悔することになる。 最初の例を使って考えてみよう。じつはこの「ゲーム

    ボランティアのジレンマ - Essay, dated.
    namawakari
    namawakari 2009/02/08
    “傍観者効果”は話としては知ってたけど、実際に実験してこれだけ予想通りの結果が出るのは興味深い。/バスや電車で席を譲るかどうかといった事態と類似してるかな。
  • 『歴史・レトリック・立証』 - leeswijzer: boeken annex van dagboek

    カルロ・ギンズブルグ[上村忠男訳] (2001年4月16日,みすず書房,212 pp., 体価格2,800円, ISBN:462203090X → 目次|版元ページ) 【書評】※Copyright 2001 by MINAKA Nobuhiro. All rights reservedちょっと地味目のタイトルではあるが,歴史復元のもっとも根的な問題−しかも現代的−を論じた論集で,系統学や進化学に関心のある読者にとって書は意外に関係が深いように思われる. 書は,歴史がレトリックとしての叙述(narrative,ナラティヴ)であり,したがって経験的な意味での「立証」とは相反する行為である,という懐疑論−ロラン・バルトのレトリック論,ヘイドン・ホワイトのメタ歴史論, ダナ・ハラウェイの社会構築主義など−が,最近流行のポストモダン相対主義的な歴史観として定着しつつあると指摘する. この歴史

    『歴史・レトリック・立証』 - leeswijzer: boeken annex van dagboek
    namawakari
    namawakari 2009/02/08
    “歴史がレトリックであること,そのレトリックが本来エンテュメーマ(遡行推理)としての推論様式を保持してきたこと,の二点から,歴史は推論あるいは立証の対象であり続ける”
  • ずいぶんと「ヒートアップ」されているようですが - hokusyu’s blog

    ■私が削除照会したブックマークコメントの内容について http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20090207/1233980753 ネットの論争におきましては、「頭がヒート」したほうが先に削除依頼を出す、というのがわたくしの経験的な判断でありますが、それはまあ良いでしょう。 Automatons Hacking Guideに対するロマンスさんと私のコメントは、「トリアージ」を一般社会の現象を説明するときに用いることでいかなる誤謬が発生するかを明確に示したエントリに対して、それは「ケーキ」エントリの問題性と一致していることを指摘したものであるので、「私とはなんの関わりもない」わけではありません。もちろん、福耳先生と当該エントリの人個人としては「なんの関わりもない」でしょうが、ブログという公開のテクストにおいては「関わり」があるのであって、それこそがまさに福耳の「人格批判」

    ずいぶんと「ヒートアップ」されているようですが - hokusyu’s blog
    namawakari
    namawakari 2009/02/08
    “半ば本気で死んで欲しい”はどこかで見た記憶がある。誰のだったか、fuku33氏関連だったかも覚えてないが。まあ、「徒党」認定してしまえば誰のタグでもいいのかもしれない。