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授業でこの前「ボランティアのジレンマ」という実験をやってみた。例えば次のような状況を考えてみる。 夜中に誰かの「助けて」という叫び声で目が覚めた。あなたには二つの選択肢がある:(1)警察に電話をかける、(2)ベッドから出るのが面倒なのでまた寝る。さて、近所の誰か1人でも警察に電話をすれば、この助けを求めている人は無事に保護されることになる。しかし、誰も警察に電話をしなければこの人は殺され、あなたは次の日の新聞を見て後悔することになる。 あるいは、こんな状況。 道端に誰か初老の男性が倒れている。あなたは(1)彼に声をかけて必要なら救急車を呼ぶことができるし、あるいは(2)無視して通り過ぎることもできる。あなたに限らず誰か1人でも(1)を選べばこの男性は助かるが、だれもそうしなかった場合は、あなたはやはり次の日の新聞を見て後悔することになる。 最初の例を使って考えてみよう。じつはこの「ゲーム」
カルロ・ギンズブルグ[上村忠男訳] (2001年4月16日,みすず書房,212 pp., 本体価格2,800円, ISBN:462203090X → 目次|版元ページ) 【書評】※Copyright 2001 by MINAKA Nobuhiro. All rights reservedちょっと地味目のタイトルではあるが,歴史復元のもっとも根本的な問題−しかも現代的−を論じた論集で,系統学や進化学に関心のある読者にとって本書は意外に関係が深いように思われる. 本書は,歴史がレトリックとしての叙述(narrative,ナラティヴ)であり,したがって経験的な意味での「立証」とは相反する行為である,という懐疑論−ロラン・バルトのレトリック論,ヘイドン・ホワイトのメタ歴史論, ダナ・ハラウェイの社会構築主義など−が,最近流行のポストモダン相対主義的な歴史観として定着しつつあると指摘する. この歴史
■私が削除照会したブックマークコメントの内容について http://d.hatena.ne.jp/fuku33/20090207/1233980753 ネットの論争におきましては、「頭がヒート」したほうが先に削除依頼を出す、というのがわたくしの経験的な判断でありますが、それはまあ良いでしょう。 Automatons Hacking Guideに対するロマンスさんと私のコメントは、「トリアージ」を一般社会の現象を説明するときに用いることでいかなる誤謬が発生するかを明確に示したエントリに対して、それは「ケーキ」エントリの問題性と一致していることを指摘したものであるので、「私とはなんの関わりもない」わけではありません。もちろん、福耳先生と当該エントリの人個人としては「なんの関わりもない」でしょうが、ブログという公開のテクストにおいては「関わり」があるのであって、それこそがまさに福耳の「人格批判」
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