タグ

2009年5月6日のブックマーク (9件)

  • 石橋湛山の全集未収録原稿「インフレ対策と経済安定」(終わり)

    承前 (3)があるが、それは当時の戦時的な統制経済からの離脱=市場の自由化と、基幹産業への公的な投資の奨励といった、戦後経済のテイクオフのための必要条件が書かれている。それは今日的にも興味深いのだが、時間の都合(連休最終日)なので、ここでは最後の(4)を紹介するにとどめる。なお、今回の論説が公表された、占領時代の経済学については現在、仲間たち(W、N、Tの三兄弟)とともに猛烈な勢いで調査・研究をすすめている。その成果が整い次第ここでもお知らせできればと思う。日経済学の再開始期における「アメリカの影」とでもいうべきものを意識しての研究となっている。 (4) なほ、インフレの問題が非常にやかましくなって来たのですが、私はかねて申す如く日の終戦以来のインフレというものは、成程インフレには違ひないけれども、普通に謂ふ意味のインフレとは性質が甚だ異なって居る。これを実際の数字に付て見ますと、昨

    石橋湛山の全集未収録原稿「インフレ対策と経済安定」(終わり)
  • 「たんけんぼくのまち」チョーさんが復活した日 - テレビの土踏まず

    5 日こどもの日に放送された NHK 教育「 ETV50 もう一度みたい教育テレビ こどもスペシャル」は「たんけんぼくのまち」の特集 30 分でした。 昔の放送が一まるまる再放送されたのに加えて、「今よみがえる!たんけんぼくのまち 2009 」と題して「新作」が制作されていたのが実にすばらしかったです。 「たんけんぼくのまち」とその主人公「チョーさん」が復活を遂げたのです。 「たんけんぼくのまち」とは NHK 教育「たんけんぼくのまち」は 1984 年から 1992 年にかけて「小学校 3 年生の社会科」の番組として主に学校放送で人気を博した番組です。今の 20 代後半から 30 代前半あたりは世代的にドンピシャだと思います。 料品店のお手伝いをしている「チョーさん」が、愛用の自転車「チョーさん号」に乗って毎回まちをたんけんし、そのたんけんをするたびに一枚絵のカラフルでポップな「地図」

    「たんけんぼくのまち」チョーさんが復活した日 - テレビの土踏まず
    namawakari
    namawakari 2009/05/06
    実に懐かしい。思わず顔が綻ぶ。
  • 津村ゆかりさんの「図解入門 よくわかる最新分析化学 基本と仕組み」はお勧め - 松永和紀blog

    ○○社の△△が残留基準を超えていることが分かり、○○社が回収を始めたーー。この手の情報が流れてくると、昔はすぐに、健康影響が出るほどの摂取量かどうかなど、検討を始めていた。 今はちょっと違う。まず、検出したという数字が正しいかどうか検討するための周辺情報を集める。それは、何度か痛い目に遭っているからだ。 「○○社は悪いヤツ」という前提で取材していくうちにだんだんと、「どうもおかしい。この分析値、怪しくない?」という心証が深まっていく。どの検査機関が分析したか、どんな方法を用いたか、チャートはどんなものだったか、詳しく情報を集めていくと、「うーん、この分析では、何も言えない。○○社が悪いかどうかなんて、何も分からない。しかも、試料がもうないから、分析が正しかったのかどうか、確認のしようがない」という結論になる。「○○社は悪いヤツ」という思い込みに満ちたそれまでの取材は、水の泡である。 伊藤ハ

    津村ゆかりさんの「図解入門 よくわかる最新分析化学 基本と仕組み」はお勧め - 松永和紀blog
    namawakari
    namawakari 2009/05/06
    いずれ買う。
  • 高校講座

    高校生の「学び」をサポートする「NHK高校講座」。放送日程や各回の内容、学習に役立つ資料・映像、音声などをストリーミング配信しています。

    高校講座
  • value-net.net - value net リソースおよび情報

    value-net.net は、あなたがお探しの情報の全ての最新かつ最適なソースです。一般トピックからここから検索できる内容は、value-net.netが全てとなります。あなたがお探しの内容が見つかることを願っています!

    namawakari
    namawakari 2009/05/06
    一瞬でも「なるほど~」と思った俺は、死ねばいい。/それにしても完成度の高いパロディだ。/読み直したら、私物持ち込んでるんだよな、この変態親子。
  • <ポスドク>1人採用で5百万円…文科省が企業に「持参金」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    博士号取得後に任期付き研究員(ポスドク)として大学や公的研究機関で働く人たちの民間企業への就職を増やそうと、文部科学省が、ポスドクを採用した企業へ1人につき500万円を支給する。国策としてポスドクを増やしながら受け皿不足が指摘される中、「持参金」で企業側の採用意欲を高める狙い。文科省が企業対象の事業を実施するのは珍しく、09年度補正予算案に5億円を計上した。 政府は90年代、高度な研究人材を増やそうと、大学院を重点化し博士号取得者を増やした。博士の受け皿となるポスドクは1万6000人を超えたが、企業への就職は進んでいない。日経済団体連合会の06年調査で、技術系新卒採用者のうち博士は3%だ。 文科省の調査によると、ポスドクの6割以上は企業への就職も視野に入れているが、企業側の技術系採用は修士が中心で、85%が「過去5年にほとんど採用していない」と答えている。企業側が「わず嫌い」してい

    namawakari
    namawakari 2009/05/06
    すごく…その場しのぎです。/長期で考えれば500万の一時金でも採用したいとは思わないのではないか。/「食わず嫌い」というより、修士レベルで事足りてるからでは?
  • 玄倉川の中の人は言行不一致なのではなくて - 地を這う難破船

    ⇒http://d.hatena.ne.jp/buyobuyo/20090505/p1 「私」が「私」であることにおいて論を主張せよ、と言っています――私の認識では。別の言い方をするなら、共同幻想を恃んだ自己都合の言動を一貫して戒めている。私が知る限り、3年は前からずっと。玄倉川さんにとって共同幻想は「私」が「私」であることを抑圧する現実の力学としてある。「私」が「私」であることを抑圧する共同幻想のグロテスクについて指摘し続けているのが、玄倉川の中の人です。 その根底には、「私」が「私」であることをこそ人は人として相互に尊重すべき、という信念があり、玄倉川さんの言う「人間」は、ひいては「良心」「理性」は、そのこととしてある。共同幻想を恃むことなく「私」が「私」であることにおいて人が人として相互に尊重し合うこととして。 「私」が「私」であることから逸脱して共同幻想を恃んで「私」の都合を主張す

    玄倉川の中の人は言行不一致なのではなくて - 地を這う難破船
  • 毛利論考検討準備メモ - 検討論点リスト2 - 〈包摂/排除〉の最適化 - 20090430 - 呂律 / a mode distinction

    これは [2006] からあらたに登場する論点。[2007] にもほぼ同じ形で登場。[2007] のほうがちょっとだけ分量が多いか。 →著者における「規範理論」への接続点か? システム評価観点としての「〈包摂/排除〉の最適化」: 〔リスク社会:2006〕 三 ルーマン派システムの一般的アプローチ―社会の音響学 - 3 システム論のイメージの転換 - (二)問題意識の転換 包摂/排除−分析 [...] 社会の場合も、コミュニケーションの広がりの射程が大きくなるほど、また、人々の社会の中での位置の隔たりが大きいほど、<同一>の社会を今生きながらの経験の<差異>は大きくなるだろう75。私見によれば、だからこそルーマンは、コミュニケーションの射程を拡大する文書メディアの開発その他にアンバランスとも言えるほどの関心を寄せているし、相互行為−組織−機能システムという社会システムの分類で言えば、もっとも

    毛利論考検討準備メモ - 検討論点リスト2 - 〈包摂/排除〉の最適化 - 20090430 - 呂律 / a mode distinction
    namawakari
    namawakari 2009/05/06
    “〈包摂/排除〉は昨今の社会科学におけるバズ・ワードである。これ自体が説明を必要としている こんな概念を「術語」として採用してよい筈がない”
  • ララビアータ:J.H.ニューマン - livedoor Blog(ブログ)

    猪木武徳氏から『大学の反省』(NTT出版)を送っていただいたので、すぐ一読した。大学教育に進行するさまざまの傾向に対する憂慮と、広い見識に基づく好著である。その指摘は的確であり、その論証は手堅く、その主張はバランスのとれたものである。リベラル教養教育の重要性や私学助成の拡充の必要など、そのほとんどの主張に賛同できる。なかなか断言することの難しい難問に関しても、性急な断定を避け、問題の指摘にとどめる点が好もしい。 オクスフォードでの運動については、これまでまったく知らなかったが、これをきっかけに調べてみると、どうやら18世紀の啓蒙的合理主義に対する反動の一環として、ローマン主義などと機を一にして起こった英国教会内部での一種の復古主義的運動であるようだ。大陸ヨーロッパのプロテスタントの影響でもたらされた福音主義的な聖書の「リベラルな」解釈に危機を感じ取り、ニューマンは古代の教会の伝統に復古す

    namawakari
    namawakari 2009/05/06
    “その点では、従来のリベラリズムの哲学は無力である。理性と功利による説得しか知らないからである。むしろ、宗教自体の中に、自らを謙抑するリベラルな英知を探らねばならないのである”