先日、京都日文研の研究会の懇親会の席上、東京裁判をめぐって議論になった。私は以前、日暮吉延氏の『東京裁判』(講談社現代新書)の書評をしたことがある。それについては、ララビアータ2008年2月23日の記事参照。 戦争裁判に対しては、「平和に対する罪」や「人道に対する罪」による訴追が、「事後法」(「犯罪」の後にそれを処罰する法を作って、さかのぼって適用すること)の禁止の原則・罪刑法定主義に反する、と言われることがある。これについては、拙論「革命的法創造論」(『神学・政治論』所収)で論じたので蒸し返すことはしないが、宴席で私が展開した論理を簡単に記しておく。 その席上にも、東京裁判を批判する立場からその権威を否定する方々がいたが、私は裁判批判を可能にするためにも、その権威を承認せねばならないと考えるのである。「東京裁判」が裁判として著しい欠陥を持っていたことは、認めざるを得ない。それは、東京大空