『現代思想』10月号は「相模原殺傷事件特集」で、深刻で読み応えのあるものだったが、私はなかでも市野川容孝「反ニーチェ」に考えさせされた。ちょうど先便でチョムスキーのフーコー批判に触れたとき、その源泉はニーチェまで辿れるのではないかと記したが、それと響き合ったからだ。「私の社会学信条」に記したように、中学生の頃読んだニーチェの影響は、こんなにショボい私にさえあるので、あらためてそれを相対化する必要を痛感したのである。 この論文は事件の背景に、ニーチェ的思考というか物語が、私たちの社会意識に巣くっていることがあると指摘し、そのニーチェ的物語のなかではニーチェがニーチェを裏切っているところがあるのだから、ニーチェの言葉でニーチェを超えていくことができるし、それこそが今必要だと主張する。とくに最後の主張が、いわゆる思想家の多元性論(大文字の著者から小文字の著者へ)を克服しているので興味深かった。