タグ

ブックマーク / nnakasuji.ws.hosei.ac.jp (5)

  • 恐怖の歴史人口学:中川清「日常生活における戦後性」を読み直す | 群衆の居場所

    ふと書架で見つけて読み直して、血の気が引いていく。 中川先生は、『日の都市下層』(1985)を読んで以来、私の憧れの人である。また中川先生を最後の王としていただく(最後の女王は岩田正美先生)、高野岩三郎を太祖とする「家計調査―生活構造論/労働経済学」王朝も、私にとって「オルタナティブな社会学」として憧れの学問である。 前に記した「学会官僚」として、日社会学会大会のプログラム作成にたずさわっていたとき、委員長の倉沢進先生が、いつものいたずらっ子のような笑みを浮かべて、「中筋君の部会の司会は高橋勇悦さんがいいかな、中川清さんがいいかな」と聞いてくださった。私もはじめての学会発表をエントリーしていたのである。私は即座に「中川先生でお願いします」と叫んだ。高橋先生のことはまだ論文でしか知らず、コミュニタリアンの先生が私の野心を理解してくださるとは思えなかったこともあった。でも、中川先生にお会い

    namawakari
    namawakari 2017/11/26
    “1956年生まれだと(私より10歳年長)、出生数166万、中絶件数117万で比が0.70、つまり産まれるはずだった子どもの4割は間引かれたということになる。この傾向は54年から62年くらいまで続いた後、低下”
  • 歴史学は歴史学:石母田正『日本の古代国家』を読む | 群衆の居場所

    新しい解説を大津透先生が書かれているというので、文庫再版された石母田正『日の古代国家』を読んだ。ついでに再刷された『中世的世界の形成』も合わせて読んだ。石母田はこれまでわず嫌いで、論文をいくつかしか読んだことがない。だからこの2つの代表作を通しで読むことには、新鮮な期待がある。 大津先生は山梨大学旧教育学部時代の同僚である。「社会科」という教員組織のなかで一番年が近く、また同じ東大文学部出身で、東京から通っていたこともあって、親しくしていただいた。もちろん歴史学界きっての俊英の大津先生と私では月とスッポンなのだが(実際その後の20年はまったく月とスッポンだった)、軽く扱われることは一度もなかった。一度人事か何かの機会に、私の歴史学観について厳しくたしなめられたことがあったが、それも、その率直さが有難かった思い出である。 そのとき、たしなめられたのは、私がいわゆる「網野史学」を無批判に受

    namawakari
    namawakari 2017/11/26
    “当時の私は、日本史網野善彦、西洋史喜安朗、文学史前田愛という社会史の3人の巨人に依存しきっていたと思う…喜安朗については、…後輩の先生が複雑な表情をされたことを通して、依存から脱することができた”
  • ヒトはなぜ本を読まなければならないのか:ある新聞投書への回答 | 群衆の居場所

    朝日新聞の3月9日朝刊13版(名古屋版)「声」欄に「読書はしないといけないの?」という不思議な投書が掲載されていた。大学教育学部で学ぶ東京都在住の男性の投書者は、若者の読書離れへの大方の懸念に疑問を返し、自分はこれまで読書から恩恵を感じたことはないので、読書しなければならない確固たる理由を教えてほしいと訴えている。私が不思議と言ったのは、彼は「読書より大学の勉強が必要」と書いているが、少なくとも教育学部では読書を伴わない勉強はあり得ないからだ(元教育学部教員として断言する)。また高校卒業までまったく読書を必要とせずに教育学部に入学できたというのも不思議な話だ。もっともこれは彼の問題というよりは、そんなまやかしの教育をしている学校や大学の問題だろう。たとえ数学であっても、高等教育以上で読書の伴わない勉強はあり得ない。 東京大学文科3類(当時は文学部と教育学部進学予定者のコース)に入学した30

  • この社会はこうして潰れた:藤森徹『あの会社はこうして潰れた』(日経プレミア)を読む | 群衆の居場所

    「老舗」帝国データバンク調査部のベテラン企業調査マンによる倒産経緯のファイル。新書サイズに個々の事例を詳しく書き込むのは難しいし、その事例もすごく多様で、語り口もドキドキ・ハラハラというわけではないが(事実の調査のファイルなので当然だ)、組織がダメになっていくプロセスを見、考えること自体が面白い。 省みれば、わが業界には「社会がダメになっていくプロセス」への想像力に欠けるところがあるのではないか。その意味で、社会学というのは(悪い意味で)「ポジティブ・シンキング」なのではないか、と思う。まあ、創業者のコントからして「ポジティブ」ですからね。 日で一番売れた社会学のと言われるフロムの『自由からの逃走』は、数少ないネガティヴなだと思うが、フロム自身が健康な人なので、それ以上深化しなかった。世界で一番売れた社会学のと言われるホワイトの『ストリート・コーナー・ソサエティ』も、読み方次第では

    namawakari
    namawakari 2017/11/26
    “デュルケムで言えば、決して自分を自殺する側に置かない。自殺させる側にも置かない。それはお前だけだと言われるかもしれないが、私はこれは社会学の宿痾であると思う”
  • ニーチェの森に迷う:市野川容孝「反ニーチェ」を読む | 群衆の居場所

    『現代思想』10月号は「相模原殺傷事件特集」で、深刻で読み応えのあるものだったが、私はなかでも市野川容孝「反ニーチェ」に考えさせされた。ちょうど先便でチョムスキーのフーコー批判に触れたとき、その源泉はニーチェまで辿れるのではないかと記したが、それと響き合ったからだ。「私の社会学信条」に記したように、中学生の頃読んだニーチェの影響は、こんなにショボい私にさえあるので、あらためてそれを相対化する必要を痛感したのである。 この論文は事件の背景に、ニーチェ的思考というか物語が、私たちの社会意識に巣くっていることがあると指摘し、そのニーチェ的物語のなかではニーチェがニーチェを裏切っているところがあるのだから、ニーチェの言葉でニーチェを超えていくことができるし、それこそが今必要だと主張する。とくに最後の主張が、いわゆる思想家の多元性論(大文字の著者から小文字の著者へ)を克服しているので興味深かった。

  • 1