Twittterで民主党の小沢幹事長の「キリスト教は独善的だが、仏教は寛容」(読売オンライン)という発言が話題になっていました。どんな基準で独善と寛容を判断しているのかや、特定の宗派やグループではなくキリスト教全般を粗雑なやり方でひとまとめにしている点など、いくら仏教者との対談の場だったとはいえ、このように一方的に批判され傷つけられたクリスチャンの方々の気持ちを思い、とても悲しい気持ちになりました。 宗教を持つということは、なんらかの立場を信念を持って選ぶことです。そして宗教者の辛いのは選んだスタンスによっては、信念を貫くために、コンテクストをまったく理解しない人間からの空虚な批判も権力闘争的な攻撃も受けいれざるを得ないことです。一つの立場を選ぶことは、特定の考え方や信仰を持っているだけで、レッテルを貼られ(あいつらは間違っているから)と一方的に批判されてしまう可能性も同時に引き受けること