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読み物に関するnamgenのブックマーク (330)

  • それはそれ、これはこれ――『目白雑録4 日々のあれこれ』とその他のあれこれ - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    引越して、ほぼ、ひと月が経った。日々の暮しはおおむね旧に復したが、部屋のそこかしこに荷解きの済んでいない段ボール箱が積み上げられたままだ。50〜60箱ぐらいはあるだろうか。中身はすべてや雑誌だ。 三月頃から引越しのためのの整理をはじめ、毎週末、古屋さんにお越しいただき、三ヶ月かけて段ボール箱にしておよそ100箱ほどを引き取ってもらった。持って行っていただくのが気の毒な雑の類およそ千冊ぐらいは資源芥として処分した。 そうして残った120〜130箱ほどを引越し先に運び込んだ。傷んで使い物にならなくなった書棚を処分し、あらたに三架ほどを買い足して、すべての書棚にとりあえずを乱雑に詰め終ったのが引越してひと月経った先月末のこと。で、まだ段ボール箱に詰まったまま行き場のないがおよそ50余りはあるわけだ。これも早晩古屋さんに引き取ってもらうしかあるまい。 これからまだ相当数のを処分しな

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    思いは言葉に。 はてなブログは、あなたの思いや考えを残したり、 さまざまな人が綴った多様な価値観に触れたりできる場所です。

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  • 震災と英メディアに翻弄された友人

    イギリス時間3月11日の朝、僕は長い付き合いの友人、マークから携帯メールを受け取った。日で地震があったという。 その後の数日は、僕にとっては奇妙な日々が続いた。かつて僕がさまざまに報道してきた日という国が、突如として世界中のメディアの注目を一身に集めている。マークにとっても奇妙な感覚だったろう。自身がそのニュースに巻き込まれているのだから。 マークは僕よりも後に日にやって来て、東京で数年教師として働き、宮城県出身の女性と結婚した。そして今、震災によって彼の義母と義兄弟が行方不明になっている。現在はイギリスで暮らすマーク夫は、彼らの消息を必至になって探していた。 マークはイギリス外務省に連絡したが、彼の義母らはイギリス人ではないということで、在英日大使館に問い合わせるようにと言われた。日大使館は、イギリス外務省に尋ねるようにと言ってきた。 マークのは家族を行方不明者リストに載せ

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    セメントドリンク、ブラウン管、吊るされた収納、OMORIカフェ、くり抜き、どや顔の初音ミク パチミラ福岡に出演する縁で博多に行きました。 楽しかったのでその時の写真をアップロードします。 博多駅のハートポスト 手描きのグリッチ カニの丸揚げ(おいしかった) フレッシュセメント という名前の飲み物(おいしかった)ごま+バナナスムージーっぽかった? 泡系…

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  • オーラル・ヒストリー企画/インタビューリスト

    大連に帰すと言われながら、2月近くも待ち続けていた阿部、井口それぞれのところへ、7月23日1通の手紙が届く。建設大学・李亜農校長からの招聘の手紙であった。生活に困られているそうですが、建設大学へいらっしゃいませんかという趣旨の勧誘を、非常に鄭重な日語で綴った書信であった。井口はその手紙を下記のような形で紹介しているが、もちろん彼の記憶から再現したものであろう。 「突然の手紙お許し下さい。私は嘗て貴国に留学し、三高を経て京都大学を卒業した者であります。尊台が大変困っておられるという話を、ある日人から伺いました。ついては、如何でしょう、私の学校の方へお越しになって、教授としてご協力願えませんでしょうか? 私も何かと尊台のお役に立ち得るものと信じます。

  • オーラル・ヒストリー企画/インタビューリスト

    磐石店から建設大学のある鶴村までは、約16キロの道のりである。鶴村に移動する当日、李亜農校長が派遣した林青年が迎えにやってきた。台湾生まれの林君は東京の成城高校の卒業だそうで、日人かと思われるほど全くなまりの無い日語を話す。阿部も井口もこの気持のいいさっぱりした林青年にたいへん好感をもった。 彼らが案内された住宅は、鶴村第一の大地主が住んでいたという豪壮なる大邸宅であった。村が共産軍によって「解放」される前に、この大地主はどこかへ逃走したのであろうか。それとも処刑されたのであろうか。 この邸宅は、これまでのような草と土と石で作られた貧しい農家の家と違って、鉄筋コンクリートで半ば洋風に建てられた広大な平屋である。その奥の半分に阿部一家が住み、他の半分に井口一家が住むことになった。ヨーロッパの生活を体験したことのある井口にとっては、コンクリートの床を踏みしめる触感はなつかしいものがあり、洋

  • 新聞を鉄道で運んでいた時代 - ニュース・ワーカー2

    13日のJRダイヤ改正で、上野と金沢を結ぶ寝台特急ブルートレイン「北陸」とボンネット型車両で運行する急行「能登」が廃止されました。12日夜の上野駅や金沢駅には、最近話題の「撮り鉄」と呼ばれるカメラを手にした鉄道ファンが詰め掛けたことがニュースになりました。13日付の新聞朝刊でも報じられていることと思います。この日、ラストランを迎えた列車がほかにもあります。東京の両国駅から千葉方面へ新聞夕刊を運んだ「新聞輸送列車」です。全国で唯一残っていた新聞輸送専用の列車車両です。 ※「新聞専用列車、3月で幕 経費削減『時代の流れ』」(47news=共同通信、2010年2月9日) http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010020901000115.html 新聞はテレビの登場後もなおしばらく、インターネットが登場するまでは、テキスト系では唯一と言っていい速報メディアでした。

    新聞を鉄道で運んでいた時代 - ニュース・ワーカー2
  • 人は死んで文を残す - qfwfqの水に流して Una pietra sopra

    追悼文を読むのが好きだ。とりわけ作家を追悼した文章に目がない。先頃編集をした随筆集(敬愛する編集者が丹精を籠めて書かれたもの)にも数篇の追悼文が収められてい、いずれも一読忘れがたい余韻を残す。それをいうなら追悼と銘打っていない文章でさえ、和田芳恵や山健吉や三島由紀夫やについて書かれたものなどはおのずと追悼の意味合いを帯びて胸を打たれる。文芸編集者の文壇回顧録のたぐいは少なからず読んだが、それらとこのとが一線を劃するのは対象への愛情の深さによるのだろう。知られざるエピソードを語るさいにも著者の筆致はこのうえなく抑制がきいて下世話に堕することはない。好いになったと思う。近々書店に並ぶだろう。 頃日、一冊の追悼文集を拾い読みしていた。『水晶の死』というA5判500頁を超す大冊。「一九八〇年代追悼文集」の副題どおり、1981年から89年までに亡くなった五十余名の作家たちに捧げられた百五十篇以

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  • [書評]日中戦争はドイツが仕組んだ 上海戦とドイツ軍事顧問団のナゾ(阿羅健一): 極東ブログ

    先日、日中双方10名ほどの有識者による歴史共同研究の報告書が公開されニュースになった。大手紙の社説などでも言及されていた。共同研究は2006年10月安倍晋三首相(当時)が訪中に際し、胡錦濤国家主席との会談で合意されたものだ。近代史については中国側の都合で非公開となったとのことだが、読める部分はどんなものだっただろうかと思っていたら、外務省で電子文書で公開されていた(参照)。 中国側の見解もまとめられていたが私は中国語が読めないのでわからない。この部分も翻訳・合し、政府補助で安価に販売されたらよいのではないかと思った。新聞などの報道では、暴発ということでほぼ定説化しつつある盧溝橋事件について中国側でも「発生は偶然性をもっているかもしれない」との理解が示されたといった点に着目していたが、他も全体にバランス良く書かれていて、存外にというのもなんだが、よいできだったことに驚いた。なお、盧溝橋事件

  • 近代史とじいさん - 武蔵野人文資源研究所日報annex

    アジア歴史史料センター(http://www.jacar.go.jp)がとんでもなく面白い。 国立公文書館にある『太政類典』『公文録』や防衛庁防衛研修所にある『陸軍省大日記』等を、目録検索できるだけでなく、自宅から読むことができるのである。凄いプロジェクトである。 要するに「図書館の禁帯出の貴重資料→閲覧には身分証明書要、万年筆使用不可、コピー不可」が、司書のおばさんのうさんくさげな視線を経ずとも、自宅で読めるというわけだ。設立の経緯を読むとわかるが、村山富市首相、在任中唯一の輝かしい業績ではないでしょうか。 で、ぼんやりと『軍事機密大日記目録』を見ていて、ふと思いつき、亡くなった大叔父の名前で全文検索してみた。 彼は陸軍軍人だったようだが、私の知る限りただの田舎の蜜柑農家のじいさんであった。戦時のことは復員後親族のだれにも一切語ることはなかったらしいが、そのことと彼が一時B、C級戦犯とし

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  • 『ロリータ』 ナボコフ (新潮文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG

    →紀伊國屋書店で購入 日のナボコフ研究の第一人者、若島正氏による『ロリータ』の新訳である。 『ロリータ』の最初の邦訳は1959年に河出書房から上下二巻で出た大久保康雄氏名義の訳だったが、この訳は丸谷才一氏によってナボコフの文学的なしかけを解さぬ悪訳と手厳しく批判された。 今回の若島訳をとりあげた丸谷氏の書評(『蝶々は誰からの手紙』所収)によると、大久保氏は丸谷氏に私信で、あの訳は自分がやったわけではなく、目下、新しく訳し直しているところだという意味のことを書いてきたという(大久保氏はおびただしい数の訳書を量産していたから、下訳を自分でチェックせずに出版するということもあるいはあったのかもしれない)。その言葉通り、大久保氏は1980年に新潮文庫から全面的に改訳した新版を出している。 新潮文庫版が全面的な改訳だったとは知らなかったので、今回、古書店で探して読んでみたが、明らかに誤訳とわかる

    『ロリータ』 ナボコフ (新潮文庫) - 書評空間::紀伊國屋書店 KINOKUNIYA::BOOKLOG
  • 老人と老犬 - 記憶の彼方へ

    今朝散歩中に見知らぬ老人と老犬を見かけた。ゆっくりゆっくり歩いている。老犬はよたよたと歩いている。老犬と目が合った。老犬が立ち止まった。ちょっと切なそうな目つきになった気がした。私も立ち止まった。小便をするわけでもなかった。私の方をじっと見ていた。老人がリードを引っ張っても動こうとしない。老人は私を見て苦笑いした。私はうなずいた。私は声にならない合図を老犬に送ってまた歩き始めた。

    老人と老犬 - 記憶の彼方へ
  • ウズベキスタンの写真家アン・ビクトル - 記憶の彼方へ

    思うに、記憶を語る人々というのは、過去の出来事をただ過去のこととして語っているのではありません。これまでとは違う未来へと足をふみだすために、今ここで語りおくべき物語として、記憶は語り出されている。そして、語り出されるその記憶に耳を傾けるということは、聞き手にとっては、単に語り手の過去の思い出を受け取るということにとどまるものでははない。「聞く」とは、今、ここから、語り手とともに未来に向かって足を踏み出そうという身構えでもあります。裏を返せば、その身構えなしには、「聞く」べきではない。そう、記憶を語り、聞くことで、語り手と聞き手は未来に対する共犯関係を取り結んでいるのです。抜き差しならぬ関係。その自覚と覚悟なしには、踏み込むべきではない。 記憶を追う私たちの旅とは、記憶の語り手たちとともに未来に向かう旅でもあることを、私は私で、旅ゆくほどに、痛いほどに感じるようになっていたのでした。 姜信子

    ウズベキスタンの写真家アン・ビクトル - 記憶の彼方へ
  • ノスタルジーとサウダージ - 記憶の彼方へ

    姜信子さんの「旅人」に寄り添う歌に関する一連の「旅」の物語を読みながら、その底流をなすノスタルジー(郷愁)が、先日百歳で亡くなったレヴィ = ストロースが語ったサウダージに限りなく接近するのを感じていた。ウズベキスタンの片田舎にある高麗人の村、ボルシェビークで老人たちが次々と歌う、流浪と離散の生を強いられたかつての植民地の民の想いを乗せた歌、百年前に日で生まれた歌、を聞いた姜信子さんはこう記した。 思うに、地層のように積み重なった流浪と追放の記憶を胸に、今も寄る辺ない旅人として辺境に生きる高麗人の心にしみいる何かがある歌ならば、それはもう彼ら高麗人の歌なのです。 ボルシェビークの夜。旅人たちの歌の宴。私はそこで、歌をたずさえた百年の旅の始まりの場所に寄せる郷愁ではなく、今も旅の中にある人々の寄る辺ない日々のため息や、いつかきっとたどりつくであろう旅の終りの場所に寄せる郷愁を耳にしていまし

    ノスタルジーとサウダージ - 記憶の彼方へ
  • アナトール・フランス著『赤い百合』を愉しむ - 壺中水明庵

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    週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の氏…

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    来年も作りたい!ふきのとう料理を満喫した 2024年春の記録 春は自炊が楽しい季節 1年の中で最も自炊が楽しい季節は春だと思う。スーパーの棚にやわらかな色合いの野菜が並ぶと自然とこころが弾む。 中でもときめくのは山菜だ。早いと2月下旬ごろから並び始めるそれは、タラの芽、ふきのとうと続き、桜の頃にはうるい、ウド、こ…

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  • 倉木麻衣「ALL MY BEST」 - signes textes/批評/音楽

  • 近況など - まっ赤なかなりあ

  • 戦争体験 - 歎異抄聴聞記−師の口伝の真信に異なるを歎く

    永代祠堂経法話ご満座。前にアップした、法話の原稿の一部は使われることがなかったが、大変貴重な場となった。 テレビを観ていると、「いい言葉・感動すること」をしきりに求めている気がしてなりません。たくさんの情報量のなか、「一喜一憂」という言葉があるけれど、民放は一喜一喜一喜一憂くらいの割合で、「刹那的な」(その時だけの)一度感激したらすぐ忘れるような、「一喜」を積み重ねている。積み上げたが崩れるように、いつか倒れるでしょうね。 NHKがいいとは言いませんが、民放のげらげら笑っているのの多いのに疲れることがあります。こどもの頃、おばあちゃんは玄関の横の三畳部屋の自分の部屋で時代劇を観て、じいちゃんと妹と一緒にいつもテレビを観ていて、たいがい、じいちゃんは国会や相撲やらニュースやらのNHKを観ていました。この前ふと、自分がじいちゃんみたいだなぁと、思いました。話がどうでもいいところへ行ってしまい

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