2006年9月19日 田中 宇 記事の無料メール配信 この記事は「多極化と日本(1)」の続きです。 「北方領土問題」といえば、日本とロシア(ソ連)の間の外交紛争であるというのが常識である。しかし、この問題が日露間の紛争として立ち現れてきた経緯について勉強してみると、実は北方領土とは、アメリカが作った問題であることが分かる。 戦前に日本領だった千島列島は、終戦前後にソ連が占領し、1951年のサンフランシスコ講和条約で日本の領有権が放棄され、事実上、千島列島のソ連領への編入が容認された(ソ連自体は条約に署名しなかった)。日本は、敗戦後の自国の後見人となったアメリカに対し「ソ連が占領している島々のうち、歯舞・色丹の2つは、北海道に非常に近く、千島列島ではなく北海道の一部であるので、この2島は日本領であると決めてほしい」と頼んだ。 だが、アメリカ国務省は「日本が不満なら、国際司法裁判所に提訴する権