限界だった。もともと心優しい男が、プロ野球という勝負の世界で生きていくには、別人格を作り出す必要があった。誰とも食事に行かず、孤独にトレーニングに励む日々。全てはこの世界で成功するため。作り上げたG.G.佐藤という別人格はプロ8年目の2011年、ついに壊れてしまった。 「思うような結果が出なくて。だから悔しくて一生懸命練習して、家に帰っても練習して。気がつけば夜中の3時。2軍の朝は早いから、6時には起きる。そんな生活を1カ月以上続けていた」 25本塁打に83打点というキャリアハイを記録したのが2年前の09年。故障も重なり、思うようなプレーができずにいた当時、とにかく必死だった。極端に短い睡眠時間に加え、炎天下で体を酷使する生活を続けた結果、気がつけば救急車の中にいた。 「その時、動悸がすごくて、怖かった。それ以降、試合で緊張するとその動悸を思い出して、まともに立っていることすらできな