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ブックマーク / d.hatena.ne.jp/zoot32 (14)

  • The Last Supper - 空中キャンプ

    その日、お父さんが潜んでいた場所はアポッターバードだとニュースは伝えていたが、それは真実ではない。私たちが住んでいたのは世田谷区の小さな一軒家だったし、彼は四月二十九日の午後六時、下北沢駅の西口にあるオリジン弁当の前で拉致されたのだった。チキン南蛮弁当と、小松菜と舞茸のおひたしを買って出てきたお父さんは、店の前に絶妙のタイミングですべり込んできた作業用バンにほんの数秒で手際よく押し込まれ、車内で待ちかまえる五人の特殊部隊に両手両足をぐるぐる巻きにされると、甲州街道を経由して横田飛行場まで連れていかれた。その後のことはよくわかっていない。ことによると、生きたまま飛行機でアポッターバードへ連れていかれたのかもしれないし、横田へ着く前に死んでしまったのかもしれない。 私はそんなあれこれを、日にいるお父さんの友だちを通して知ることになる。「横田に着いてからのことは調べようがないし、ほとんど情報は

    nanagatsu
    nanagatsu 2011/09/13
    911恒例、世田谷ラーちゃんシリーズ。たかこちゃん大人になったな…。
  • 物語にできること - 空中キャンプ

    こうして大きな災害や社会的事件が起こるたびに、わたしは、物語の役割はなにかということについて考える。小説映画はこのようなときになにができるのだろうか? わたしは小説映画を──つまりはストーリーを語るという行為を──なによりも支持する者ですが、いま「物語」はなにかのんきな娯楽であるようにも見えてしまう。行方のわからない人びとが数多くいるとき、傷ついた人びとがどこかで助けを待っているとき、まずなにより必要とされるのは彼らを救助することであり、からだを休める場所とべものを提供し、さらなる被害をい止めることであるためだ。 地震の翌日、料品の買い出しのために下北沢の街を歩きながら、わたしはふと「大きな問題に直面したとき、物語は無力なのではないか」との疑念を持たずにはいられなかった。ふだんであれば週末に封切られた映画をたのしそうに追いかけまわしているわたしの友人たちも、昨日は映画館に出向くこ

    物語にできること - 空中キャンプ
  • 5/10文学フリマに出店します!- 空中キャンプ

    みなさんこんにちは。空中キャンプを書いている者です。GWいかがおすごしですか。わたしはなぜか仕事が休めず、基的には働いています。昨日、ようやく休みがもらえたので、せっかくだから遊ぼう! ということになり、渋谷のクラブでDJ KAORIのプレイを目撃してきました。 白いドレスでDJするケオリさんにもぐっときましたが、衝撃だったのは、DJブースに常時スタンバイしているアシスタントのお兄ちゃん。ケオリさんが曲をかけ終わって彼にレコードを渡すと、元のジャケットにしまうのである。そんな「レコードしまい係」の人がつねに横に待機しているDJをわたしは見たことがなかったので、そこに強烈なセレブ感を発見したことを書いておきたいです。 さて、今週末になるのですが、文学フリマという催しものが開かれます。ミニコミや同人誌の販売イベントですね。そこに、わたしも空中キャンプとして参加します。こうした催しものに参加す

    nanagatsu
    nanagatsu 2009/05/04
    ゆく!!
  • あたしの予告編、僕の予告編 - 空中キャンプ

    人はミステリアスなものに惹かれる性質がある。ぱっと見ただけでおおむねわかってしまうようななにかについて、それ以上あえて追求する意欲はあまり起こらないものであり、われわれもやはり同様に、底知れなさ感、謎めき感などを演出していった方がおもしろいのではないか、とわたしはおもう。 たとえば映画の予告編をおもいだしてほしい。たいていは、それがどういう映画なのかについて、ひとまずの概要は伝えながらも、もちろん核心には触れていないし、おもわせぶりな映像やシーンだけを効果的につないでいくことで、あたかもそこにはすごい興奮があるかのような予告をしている。仮に映画がひどい駄作であったとしてもかまわない。それがどうにか演出し、できるだけおもしろそうに編集する。卑怯かもしれないが、予告編とはそういうものである。 では、われわれにとっての予告編、つまりは「あたしの予告編」「僕の予告編」といったものが存在するとすれば

    nanagatsu
    nanagatsu 2009/04/08
    上映時間…
  • 『イレイザーヘッド デジタルリマスター版』を見たゼ! - 空中キャンプ

    渋谷にて。77年のデビッド・リンチ長編デビュー作。はじめて映画館で見ました。製作に五年かけたという粘りづよさもすごいし、五年間ずっとこの映画に取り組んだという姿勢もえらい。五年間これやってたのかという。部屋のラジエーター内に謎の女の子が住んでいて、子どもがえーんえーんと泣く話。 細野晴臣が、音楽製作について語っているなかで興味ぶかかったのは、彼は自分がレコーディングした曲を聴きながら、しだいに、ほんとうにこれでいいのか、ひょっとして今自分が録音している音楽はとてつもなくかっこわるいものなのではないか、と不安になるということである。そういうとき、細野は最初に自分がいいとおもったこと、そのインスピレーションのみを信用して、製作をつづけるのだという。これは表現をする者にとってはとても重要だと感じた。つまりなにかを作るということは、拠りどころとなる強固な信念をいかに有しているか、という資質の問題で

    nanagatsu
    nanagatsu 2009/03/04
    インスピレーションを信じることができるか否か
  • 近所づきあい - 空中キャンプ

    スポーツクラブに入会してもうすぐ四年になる。わたしはがんらい、異様にねばりづよい性格なので、入会の当初からかならず続くとおもっていたし、日々の運動が習慣になると確信していた。辞めないもん。そしてじっさいにそうなった。ちょう健康なわたし。そしてちょうねばりづよいわたし。 そんなわたしの無法なまでのねばりづよさについて、ここであらためて主張したり、考え直したりする必要はまったくないのですが、入会してよかったなとおもうことはたくさんある。たとえばそのひとつは、ちょっとした知りあいが増える、ということである。スポーツクラブというのは、基的にその施設の周辺に住んでいる人たちが入会するから、休日に家の近所などをなんとなく歩いているとき、駅や通り、スーパー、屋さん、スターバックス店内等で、会員の人たちとばったり顔を合わせることがとても多くなったのである。 期せずして、近所づきあいのようなものが発生し

    nanagatsu
    nanagatsu 2009/02/17
    最後のひとことがグっとくる
  • 神の子どもたち - 空中キャンプ

    渋谷駅前の交差点、路上に設置されたスピーカーから流れてくるのは、いくぶん抑揚に欠けた男性の声で、その声は「キリストを呼び求める人は救われます」と何度も繰り返していた。たくさんの通行人が行き交う年末の渋谷。強風で、外は寒い。信号待ちをしながら、わたしはふと気がついた。「キリストは罪を赦し、永遠の命を与える」──そう書かれた看板を持って立っていたのは、小学校五年生くらいのちいさな女の子だった。 われわれは親を選択することができない。どのような親のもとに生まれるのかを選び取ることができない。両親は、彼らにとって「善きこと」を子どもに伝えようとするし、そこにはそれぞれの親の価値観が大きく関係してくる。それはときに宗教であったり、ある種の思想であったりもする。親は「善きこと」を子どもに伝える。それはあたりまえのことで、他人があれこれと口をだす問題ではないのだとおもう。 両手でしっかりと看板を支えなが

    nanagatsu
    nanagatsu 2009/01/04
    もし少女が将来その宗教から離れたとして、心から笑い話にできる日は本当に来るのだろうか。周囲は笑い話として受け止めてくれるのだろうか。
  • 2008年の映画をふりかえる - 空中キャンプ

    みなさんこんにちは。空中キャンプを書いている者です。もうすっかり年末ですが、いかがおすごしでしょうか。さて、わたしは毎年かならず、この時期になると、その年に公開された映画にかんするアンケート企画をしていまして、これがおもわず長続きし、ついには五年目に入るわけですが、今年もまたおこないたいとおもいます。「2008年の映画をふりかえる」です。 これはどういうアンケートかというと、その年に公開された映画をふりかえる、そしてよかった映画のタイトルをあげていただき、それをほめるという趣旨で、みなさんの意見を集めるものです。もちろん、いただいた意見は集めっぱなしにはせず、わたしがまとめをし、できるだけおもしろく読めるような感じに工夫しつつエディットして、ちゃんと発表します。今までの結果はこんな感じです。 2004年の映画をふりかえる 2005年の映画をふりかえる 2006年の映画をふりかえる 2007

  • 沈殿する言葉 - 空中キャンプ

    長い小説を読み終えて、をぱたんと閉じる瞬間というのは、実に気持ちのいいものである。これほど、達成感という言葉がしっくりくるものもない。それがおもしろいであれば「ああ、読んでよかった」とうれしくなるし、今ひとつ自分の趣味にあわなかったとしても、ふくらはぎを痛めながらもかろうじて完走したマラソンランナーのように「それでも最後まで読み通した」と自分を誇ることができる。 ここでむずかしいのは、世間的には名作と称される古典の長編小説に手をだし、じっさいに読んでみるとまったくわけがわからず、心が折れかかっているようなときである。がんばって読み通すか、おもいきってあきらめるか、という選択をせまられることになる。名作というからには、きっとそれなりの意味あいがある小説なのだろうけれど、なにがおもしろいのかさっぱり、というような場合、しだいにのタイトルを見ただけで悲しくなってくる、といった事態にもなりか

  • 『母は娘の人生を支配する』/斎藤環 - 空中キャンプ

    精神科医である斎藤環が、今年の五月に出した新刊(NHKブックス)。斎藤は、ひきこもりの治療や、精神科医の仕事についてのをいくつか著しているのだが、その中で「母親と娘が密着しているパターンがいちばんむずかしい。これだけはなかなか治療が進まない」ということを何度か書いていた。母親と娘の関係性、女性特有の身体感覚や、母性の強迫といった問題は、男であるわたしには理解することが困難だが、このを読んであるていどのイメージをつかむことができた。それだけでも、とてもよかったとおもう。 母親と娘が、どこまでも果てしなく一体化していく、おたがいの精神や肉体をほとんど共有してしまうくらいにつながっていくということが起こる。そこで発生した、きわめて複雑にからみあった依存の関係が、おたがいを閉じ込め、愛憎の激しさゆえに双方を苦しめるのだが、どうしてもそこから逃げだすことができないという循環。斎藤は、こうした状態

    nanagatsu
    nanagatsu 2008/10/21
    仲のいい女同士は体験や感覚を共有することでお互いの境界を曖昧にしてる気がする。遺伝子的繋がりのある母子だとなおさら共有しやすい。私も年々母親のクローンみたいになってるもんなー。
  • わたしのお父さん - 空中キャンプ

    わたしのお父さんは、三年くらい前から日に住んでいて、わたしはずっとサウジアラビアに住んでいたのですが、今年からようやく、いっしょに住めることになり、こちらにひっこしをしてきました。四月からは、日の小がっ校にかよっています。わたしは二年せいです。おんなの子です。 日はちょうたのしいところだとおもう。つぶつぶいちごポッキーはおいしいし、でん車の中は冷ぼうがきいててすずしいし、プールで、もがもがもぐぐをするとおもしろいから。友だちは、ななちゃんとまきちゃんです。他にも友だちはいるけど、いちばんなかよしなのはこのふたり。ちなみに、もがもがもぐぐは、ななちゃんのかんがえたあそびで、三人でいっせいにプールにもぐってから、だれかひとりが「起しょう転けつ!」とか、「しゅっ発しん行!」とかのむずかしいことばを水の中でさけんで(なるべくむずかしいことばがよい)、でも水の中だから、「もがもがもぐぐ」としか

    nanagatsu
    nanagatsu 2008/09/11
    あ!今日は9月11日かー。たかこはさとい子だね。/私だったらその単語、そっちじゃなくてこっちを平仮名にするなーってとこ多数。
  • 2008-03-30 - 空中キャンプ

    なにが効率的で、なにが役に立つのかといったことを、人は事前に言いあてることができない。わたしはそうおもっている。たとえば、ある種の知識を得ることで、よりよい人生がおとずれる、といった思考をわたしはしない。ビジネス書に載っている答えが社会生活をスムーズにするとはあまりおもっていない。それは、精神の活動を足し算で考えるようなしかたである。を読んで脳に1の情報を入力した、別のを読むことでさらに1の情報を入力した、そこで脳はトータル2の情報を得て活発に動きまわることができる、といった発想がわたしにはない。人は「役に立たないこと」や「いっけんむだにおもえること」を通じてようやく呼吸し、暮らしていると考えている。 わたしは人の精神の活動を、もっと不可解なものととらえるのだ。つまり、脳の中には、入力した情報をかたっぱしからどんどん破壊し、ねじまげてしまう怪獣が住んでいて、あらゆる記憶や情報は、怪獣が

  • かしゆかより志ん生の方がかわいいよ - 空中キャンプ

    かしゆかってどんな子なのだろう。わたしはかしゆかに興味があったが、問題はかしゆかのことをあまりよく理解していないという点である。どの子がかしゆかなのか。Perfumeには、「髪のみじかい子」「ストレートのロング」「いつもかっぽう着の子」の三人がいることをわたしは知っていたが、かしゆかがいったいどの子かはよくわからない。あの、つねにかっぽう着、もしくはマタニティードレスふうの服を着ている子なのだろうか。 かんたんな調査の後、かしゆかは「ストレートのロング」であることがわかった。決め打ちでかしゆかファンになったわたし。かしゆかがどの子かも知らないまま…。しかし、誰かを好きになるというのは、えてしてそういうものだ。われわれは、相手の人間性など知らないまま、誰かに恋愛感情を抱き、事後的に相手について学習してから、過去の行為や感情をあらためて意味づけし直すことができる。過去は可塑的であり、観察者によ

    かしゆかより志ん生の方がかわいいよ - 空中キャンプ
    nanagatsu
    nanagatsu 2008/03/07
    恥ずかしながら志ん生さんを存じ上げなかったのでイメージ検索してみたんですけど、初見でえらいびっくりしました。
  • 2008-01-31 - 空中キャンプ

    「明烏」(あけがらす)という落語は、うぶな青年をはじめて遊郭へ連れていくというあらすじで、「エエ、男子と生まれて御婦人のお嫌いな方は御一名もない。御婦人だってそうですな。男がなかった日には、あのくらい詰まらないものはなかろうとおもいますが…」というイントロダクションからはじまる。このように決めつけてしまうと、ブロークバック・マウンテン方面からの反論もあるだろうから、「男子と生まれて御婦人のお嫌いな方は御一名もない」はいささか適切さに欠ける。しかしまあ、そこは大意として、「誰にだって欲望はある、それを肯定しよう」ととらえてほしい。「明烏」は、欲望を積極的に肯定していこうとする物語である。 考えてみれば、「欲望を肯定する」というのは、わりあいにむずかしい問題である。「明烏」がそうであるように、まさしく男女の関係は欲望のやりとりであり、ゆえにその取り扱いがむずかしい。欲望をあからさまにするのはど

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