ブックマーク / kfujiiasa.hatenablog.com (106)

  • 園芸サークルと父の日 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    🔘昨日は園芸サークルの月2回定例活動日 ①ジャガイモの収穫 ジャガイモ掘りでスコップを握るのは3年ぶり。土が軟らかく比較的楽な作業だが、残念ながら全体的に小ぶりな収穫だった。茎葉が全体に細かったことが影響しているのかもしれない。しかし芋の肌はきれいで美味しそうな気がする。 分け前を頂いて早速ベランダに拡げ乾燥を始めた。 畑仕事では汗の出方から夏の到来を身をもって感じる。 ②ミニトマトの支柱立て 茎が伸びて来たので畝全体に支柱を渡し各々の茎を抱かせる。 ・ミニトマトが結実し始めた ・キュウリも10cm位の実を付けて来た キュウリの花 ・ゴーヤの花 ・世話人さんが精魂込めたスイカ、4つの実がすでに大きくなりつつあり大きいのは直径約20cm位。 ・畑に植えてあるムギワラキクとポーチュラカ 🔘昨日は父の日、例年の通り娘から夏のシャツが届いた。来月始めの施設の定例句会は兼題が「父の日」に決まって

    園芸サークルと父の日 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    naoki0607 2024/06/19
  • 廃藩置県(はいはんちけん) - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    の近代の幕開けとも言える明治維新の諸施策のうち明治6年(1873)の徴兵令などと並んで明治4年(1871)7月の廃藩置県は明治維新の骨格を成立させた大事業のひとつであった。 明治2年(1869)実施された版籍奉還は土地(版)と人民(籍)を朝廷に返還する改革であったが、直轄地以外の藩はそのまま旧藩主が知藩事になっているという封建制度が残る中途半端なものであった。 この為西洋列強に追い付くという観点からしても、中央集権を徹底するための廃藩置県は新政府にとって必須の施策であった。 雑誌・文藝春秋6月号の巻頭随筆で作家・塩野七生(しおのななみ)さんが「断頭台には送らない国での革命のやり方」と題して、この廃藩置県を捉えて、来血を見ずには収まらないような革命的な施策が実行出来たプロセスの断面を書かれている。その骨子は、 ・この廃藩置県を実行したのは薩摩と長州の出身者であったが、最も問題となったの

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    naoki0607 2024/06/11
  • 6月句会 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨日は住んでいる施設の定例6月句会があり14人の参加、都合で欠席のひとりの方も事前に出句されていた。 今月の兼題「迎え梅雨」「走り梅雨」の1句を含めて以下の5句を出した。 ①菜園の小苗叩くや走り梅雨 園芸サークルの畑で、ミニトマトの苗が先日の風雨に激しく叩かれ辛い様子を詠んだ。 ②国生みの島より南風(はえ)の駈け来たり 住んでいる施設の南側は大阪湾や淡路島方向にひらけていて、南からの風の通り道になっており、そこを風が上って来る様子を詠んだ。 淡路島は「古事記」で日で最初に生まれた島だとする記述があり、国生みの島とも呼ばれている。 ③鍬入れて蚯蚓(みみず)で探る土の出来 蚯蚓が生息するのは自然の肥えた土の証であり、園芸サークルの畑でも以前の自家菜園でも土を耕した際ミミズが出てくると安心した気持ちを詠んだ。 ④瓶底に紅い日焼けの青き梅 青梅の紅い斑は太陽にさらされた部分であり、その梅が梅酒の

    6月句会 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    naoki0607 2024/06/06
  • 「太平洋戦争秘史 周辺国・植民地から見た日本の戦争」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    山崎雅弘著「太平洋戦争秘史」朝日新聞出版刊をようやく読み終えた。「秘史」とあるので先の戦争について偏った立場からの見解が示されるのではと多少身構えて読み始めたがその心配は杞憂で、広範囲に渡る中立的な内容を時間をかけてじっくり読ませて貰った。 副題に「周辺国・植民地からみた日戦争」とあるように太平洋戦争の影響を直接、間接に受けた諸国、・仏領インドシナ(現ベトナム、ラオス、カンボジア)・英領マラヤ(現マレーシア)・英領シンガポール・米領フィリピン・蘭領東インド(現インドネシア)・英領ビルマ(現ミャンマー)・英領インド・英租借地香港・独立国タイ・独立国モンゴル・英連邦構成国オーストラリア、ニュージーランド、カナダが取りあげられている。 従来太平洋戦争を振り返る場合、米、英、蘭、中、ソなどの大国間の政治軍事関係が大半であったがこのは東南アジアなど周辺国各々に細かく光を当てその実態を詳述し日

    「太平洋戦争秘史 周辺国・植民地から見た日本の戦争」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    naoki0607 2024/05/31
  • 五月句会 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨日は住んでいる施設の俳句サークル5月の定例句会であった。 私は今までブログに出したり手元に書いて置いた句を推敲(すいこう)して以下の五句を出した。 今月の兼題は「藤」であり五句の内一句は藤を取り入れた。 ①母の待つ藤棚ありし田舎駅 私の生まれた町の駅は地方では比較的大きい方で駅を出た右手に藤棚のある店があった。この駅前商店街も、人口減少と水害の影響もありほとんど店じまい、藤棚もその店も今はもう見られない。 ②歩めども山頭火には成れぬ春 俳人・山頭火は私と同じ山口県の出身である。放浪とも云うべき生涯を送ったが、その自由律の素晴らしい俳句と、どうしようもない私生活は共にとても真似が出来そうにない。 ③宵の雨朝霞にて雲に帰す 昨日降った雨が翌朝霞になって天に戻っていく様子を自然の摂理と思い詠んだ。 ④夕燕飛翔自在に虫を狩り ベランダから見ていると燕が私の眼下を自由自在に、また障害物をすり抜け虫

    五月句会 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    naoki0607 2024/05/08
  • 山陽町史⑨山陽道と西国街道の西へのルート/二胡コンサート - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    古代から中世にかけて京都から九州(大宰府)を結ぶ旧山陽道は大路、中路、小路と分けられた官制の駅路の内で唯一の大路で最も重要視されていた。 厚狭は官制の駅家(うまや)のひとつで、宿泊施設や伝馬などが常備されていて、ここから西へ埴生(はぶ・山陽小野田市埴生)、宅賀(たか・下関市小月)、臨門(りんもん・下関市前田)を経て九州へ渡る。 (一方厚狭は、山陽道と山陰道を結ぶ陰陽連絡小路の起点駅家であり、この事は2023年5月30日のこのブログに書いた) 近世江戸時代にこの道は主に西国街道と呼ばれるようになっていたが、その宿場は、厚狭から西へ吉田(下関市吉田)、小月(おずき・下関市)、長府(ちょうふ・下関市)、赤間関(あかまがせき・下関市)と西へ繋がる。 地図を見るとわかるが、中世までは厚狭から西へは海岸沿いを通っていたが、近世になると山側の山野井地区を経由した山越え道を通って吉田に出て下関(赤間関)へ

    山陽町史⑨山陽道と西国街道の西へのルート/二胡コンサート - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    naoki0607 2024/05/01
  • 映画「銀河鉄道の父」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    施設の映画会で2023年の日映画「銀河鉄道の父」を鑑賞した。 作家・門井慶喜(かどいよしのぶ)さんの直木賞受賞作を映画化したもので「風の又三郎」「注文の多い料理店」「銀河鉄道の夜」等で知られる宮沢賢治の、父親を主人公にした作品で父親役を役所広司、宮沢賢治を菅田将暉が演じている。 余談ながら私が一番記憶に残っている宮沢賢治の作品は、孫が小学校の学芸会で主役を演じた「よだかの星」で、演技も良かったが、宮沢賢治らしいストーリーに感動した。 映画は宮沢賢治の作品が世に出るまでの家族の物語といって良く、題名の通り宮沢賢治の最もよき理解者と云える父親と森七菜演じる妹を中心にしてストーリーが展開する。 内容はこの位にして、この映画を観たお蔭で子供の頃からずっと持っていた疑問のひとつが氷解した。 確か中学生(?)の時の国語の授業だったと思うが宮沢賢治の作品で「永訣の朝」という方言混じり旧かな使いの詩であ

    映画「銀河鉄道の父」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    naoki0607 2024/04/23
  • 中断中のひとりごと「流転の子/最後の皇女・愛新覚羅嫮生(あいしんかくらこせい)」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    岡典子著「流転の子/最後の皇女・愛新覚羅嫮生」中央公論新社刊を読み終えた。 というのも最近、中国清朝の皇帝一族の姓・愛新覚羅(あいしんかくら・アイシンギョロ)に関係するのではと思える日の姓に出会い、もう一度関連するを読まねばと思い探し出したものである。 日と関係のある清朝皇帝一族と言えば「ラストエンペラー」として映画化された清朝最後の皇帝・溥儀(ふぎ)氏、その弟・溥傑氏が知られ、溥儀氏は辛亥革命で退位の後満州国皇帝として再度即位、日敗戦後は中国で戦犯扱いを受けその後民間人として暮らした。 溥傑氏も皇弟として時代に翻弄されるが、満州国時代に日の嵯峨侯爵家から「流転の王妃」とも云われた「浩(ひろ)」さんを伴侶に迎え二女を成した。 長女・慧生(えいせい)さんは後に「天城山心中事件」で世の中の関心を集めた。 このの主人公は二女の嫮生さんであり彼女を軸にして、溥儀、溥傑・浩夫、慧生さ

    中断中のひとりごと「流転の子/最後の皇女・愛新覚羅嫮生(あいしんかくらこせい)」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録
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    naoki0607 2024/03/13
  • 「物語 朝鮮王朝の滅亡」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    金 重明(KimJungMyeong)著 「物語 朝鮮王朝の滅亡」岩波書店 刊 を読み終えた。 著者は在日二世の小説家での題名に「物語」と付いているように、史料に基づいて歴史的事実を考証するのではなく「朝鮮王朝の滅亡」という重苦しい事実を平易に物語風に書こうとしているものである。 往々にしてこういう場合、個人の主張が前に出てしまいがちになるが、その部分はかなり抑制的で事実を書くという姿勢がうかがえ、日人読者としても違和感を余り感じなくて済んだ気がしている。 このは14世紀末に李成桂(イ・ソンゲ)によって建国され「李氏朝鮮」と呼ばれた国が、1910年8月韓国併合と呼ばれた日との条約によって滅亡するまでの歴史を追跡したものである。 著者は、李朝の改革を志し中興の名君といわれ「英正時代」とも称される、第21代・英祖(ヨンジョ・1726ー76)、第22代正祖(チョンジョ・1776ー1800

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    naoki0607 2024/01/04
  • スポヂカラ!温泉街が育むなでしこたち 女子サッカー 岡山湯郷Belle - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    2011年のサッカー女子W杯でのなでしこジャパンの優勝は、今まで色々なスポーツ競技を観た中でも特筆されるもののひとつだった。 特に決勝のアメリカ戦で1点先行されて宮間あや選手のゴールで追い付き、更に1点先行され土壇場で宮間選手のコーナーキックを澤穂希選手がゴール、同点でのPK戦を競り勝った流れは作られたサクセスストーリーのような気がした。 当時なでしこジャパンの中心選手であった宮間選手が所属したチームが「岡山湯郷ベル」で、私は娘や孫が岡山に住んでいたことや、サッカーにひたむきな宮間選手のファンだったので湯郷ベルを応援していた。 しかしあのW杯に優勝した時期を境に女子サッカーの人気が徐々に低下、トラブルの噂もあるなかで宮間選手が湯郷ベルを退団、湯郷ベルも一気に成績が降下、宮間さんも湯郷ベルも殆ど情報が消えてしまっていた。 そんな中いつものルーチンで録画する番組をサーチしているとNHKのスポー

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    naoki0607 2023/12/23
  • 映画「かもめ食堂」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    NHKBSで放映された2006年の日映画「かもめ堂」を録画して見終わった。実に不思議な感覚に陥る映画で、時間がゆったりと過ぎて行き、見終わると日常の雑事などどうでもよくなるような錯覚が起き、精神衛生上実に効果があるような気がする。 これと全く同じような感覚になった登場人物が全てめがねをかけている「めがね」という映画の記憶があり、観終わって調べてみるとやはり同じ監督で「荻上直子」という方の作品らしい。 何故かフィンランドのヘルシンキで「かもめ堂」という名前の、おむすびなど日堂を開いた主人公を演じるのが小林聡美さん。 地図を開いて目をつぶって指した場所がヘルシンキでそれを目指してやって来た女性を片桐はいりさん。 長い介護を終えてたまたま見たTVでフィンランドのおらかな国民性を知りやって来た女性をもたいまさこさんがそれぞれ演じていて3人で堂を切り盛りすることになる。 全く客が来な

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    naoki0607 2023/12/16
  • 山口県地方史研究・大内義隆の官位に関する一考察② - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    12月10日の続き 前回、中国地方や北九州に君臨した戦国大名大内氏の最後の当主・義隆が足利将軍家を超えるような官位を得ていたことを書いたが、ではなぜそのようなことが可能になったのか、研究者の西田氏は史料から得られたこととして、義隆から朝廷への高額の献金をあげ、それによって朝廷の儀式が再興されたとしている。その例は、 ・天文3年(1534)後奈良天皇の即位礼の費用として20万疋(ひき)を献金。 ・天文6年(1537)途絶えている朝廷の儀式を再興する費用と推定される理由で10万疋献金。 ・天文3年から亡くなる天文20年(1551)まで毎年3000~4000疋を「今年の御礼」として定期的に献金。など 以下は私の個人的見解になるが、 当時の銭高を現代の価値に直すことは難しく、色々な資料を調べてみると銭100疋を意味する銭1貫文は、概ね現代の10万円~15万円の間に入るようである。仮に中間の12.5

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    naoki0607 2023/12/12
  • 「女性差別はどう作られてきたか」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    政治学者・中村敏子著「女性差別はどう作られてきたか」集英社新書 刊を読み終えた。 私にとってこのようなジャンルのを手に取るのは全く初めての試みなのだが、次回の放談会のテーマが「ジェンダー」であり、一度くらいは関連するに目を通しておかねばという気持ちもあった。 このは題名の通り西洋世界や日で女性差別が形作られる経緯を追いかけ日の女性差別をどう克服するかまでを語っている。 このを読んで一番驚いたことは西欧世界の基的な理念であるキリスト教が歴史的にみた場合の女性差別の根源にあるということであった。 少し長くなるが、私なりにこのの論点を要約すると以下の通りである。 旧約聖書のエデンの園でのアダムとイブの原罪行為が女性は男性の支配下にいるべき者などとされる解釈の源にある。 近代社会成立のきっかけである宗教改革や政治革命は、男性は自由で平等な「個人」となる一方で女性は家族の中に取り残さ

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    naoki0607 2023/11/27
  • ブログ投稿1500回目・「ブラタモリ」山口県特集①秋吉台と厚東(ことう) - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    NHKの番組「ブラタモリ」で、どういう訳か最近再放送も含めて3件たて続けに山口県の関連が連続して放送され、山口県在住の同級生LINEにも連絡があり録画しておいた。 ここに来てようやく3件とも連続再生して観終わったが、何れも何らかのかたちで歴史に関連しており、ちょうど投稿1500回の節目にも当たり、それではとあまり番組では触れていない関連内容のあれこれをここに書かせて貰う事にした。、 一回目は秋吉台、タモリさんが野口葵衣アナウンサーと共に石灰岩が造形したカルスト台地・秋吉台とその下に雨水が石灰岩を徐々に溶かしていくことで生じた鍾乳洞・秋芳洞を巡りその由来を解き明かす番組構成になっている。 そのなかで私も番組で初めて知ったのだが、秋吉台付近の雨水が地下に浸透して流れになったものが厚東川の源流に繋がっているらしく確かにグーグル地図を拡大して見ていくとよく分かった。 ふるさとを貫流する厚狭川は秋吉

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    naoki0607 2023/11/02
  • 「坂の上の雲」⑯奉天会戦 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    日露戦争は基的に朝鮮半島や満州・中国東北部へのロシアの脅威に日が存亡の危機感を感じたところから発生したもので、明治33年(1900)の北清事変(義和団事件)以来すでにロシアは大軍を満州に駐留させており、戦争は満州での陸戦で決着せざるを得ない状況であった。 国交断絶を期して日陸軍の一部は朝鮮半島に上陸し鴨緑江を越えて北進、主力は遼東半島に上陸して北進した。日軍は鴨緑江、遼陽、沙河、黒溝台と続いた会戦でロシア軍の防御線を持ち前の突進力で突破した。 ロシアはナポレオン戦争やナチスドイツの侵攻にみられるように陸戦の伝統的な戦いかたは、敵の補給線が伸びきることを見越して戦力を温存して後退し、後に一挙に反撃に出るというもので、この戦争でもロシア軍総司令官・クロパトキン将軍はロシアが満州経営の中心に置いた奉天(現在の瀋陽)がその反撃のための拠点と見定め要塞化して待ち受けた。 日軍も総司令官・大

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    naoki0607 2023/05/18
  • 同年令の昼食会/獺祭(だっさい)のことなど - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    昨日は同じ施設の同年令3人で垂水駅前に出掛け昼を共にした。肉、野菜何れもある店で私は刺身定を選択した。 ビールで乾杯したあとは世間話に終始したが、同年令ということもあり物事に対する立ち位置や意見に大きない違いがないことがよくわかった気がする。 京都出身ひとりと山口県出身が二人の組み合わせで、たまたまお一人が日酒・「獺祭」の醸造元・旭酒造に近いところの出身ということもあり獺祭の独自の酒造りの仕方(杜氏に代わりデータをベースにすることや酒米の磨きかたetc)から酒の話になり、懐かしい酒屋が営む角打ちや焼酎の話に繋がった。 全国区になった感のある日酒・「獺祭」の名前は酒蔵の所在地名が山口県岩国市獺越(おそごえ)であることと、俳句の春の季語にもなっている「獺祭」からきている。 イタチ科の動物で水辺に生息する獺(かわうそ)は、獲った魚を川岸などに列べる習性があると云われ、古人は詩文などを創

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    naoki0607 2023/05/12
  • 「厚狭毛利家代官所日記」の終わりと「山陽町史」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    このブログを始めたきっかけは身辺雑記と共に故郷・山口県厚狭の歴史を書いておこうと思ったことにある。 途中、江戸時代厚狭一円を領していた、萩毛利家の一門である厚狭毛利家の民政記録である「厚狭毛利家代官所日記」を入手し、これは厚狭の歴史を知るために役に立つと思い少しずつ読んでこのブログにも載せてきた。 なにぶん専門的素養が不足しており言葉ひとつに2~3日かかるような悪戦苦闘しながら読み進め、ようやく入手出来ている慶応3年(1867)まで来てしまった。 お蔭で故郷を形成するバックグラウンドがかなり理解出来たような気がするが、当面以降の分の入手が困難である。 日常の雑記は今まで通りとして厚狭の歴史は既に色々書いてきており、さあこれからどうするか立ち止まってしばらく考えていたが、「山陽町史」を読み直して興味のありそうな点についてこのブログに少しずつ書いて行くことにした。 厚狭は村の時代を経て厚狭町

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    naoki0607 2023/05/04
  • 金子みすゞと山口県の風土 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    先日4月28日のこのブログで書いた「金子みすゞ・魂の詩人」には著名な二人の方が金子みすゞとみすゞのふるさと山口県の風土の関係について述べられている。 ①児童文学家・矢崎節夫さんは埋もれていた金子みすゞを世に出した人として有名だが、その矢崎さんと「夢千代日記」などで著名なな脚家・早坂暁さんの対談の中での早坂さんの言葉、 『金子みすゞが生まれた山口県といえば、やはり山頭火や中原中也の名前がすぐに思い浮かびます。~~~山口県は多くの政治家を輩出して政治県とされていますが、~~~そういうふうに政治的な風土性の強い、~~という県ほど、そういうものと対極の、出世とか政治とかを嫌う人たちが、その圧力のなかからかえって出てくるんですよね。~~~』 ②山口市出身の詩人・和田健さんの寄稿文の一部 『私は生前の山頭火と親交があったが、~中也然り、みすゞ然り、それほどこの三人は名とか誇りには縁がなかった。むしろ

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    naoki0607 2023/05/01
  • インドの先行きなど - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    インドの人口が中国を抜いて世界一(2023年でおよそ14億3千万人)になったことが最近色々なマスコミでとりあげられている。 4~5年前に孫とインドについて話して以来インドの将来は私のウオッチテーマのひとつにしてこのブログでも書いたことがある。 最近インドについては前向きな情報を聞くことが多く例えば以下のようなことである。 ・インド系英国首相(リシ・スナク)の誕生 ・米国のIT産業は経営者も含めてインド系技術者が中心になって成長している。 ・2022年GDPはイギリスを抜き世界5位になり近い将来日を抜いて世界3位になるのは確実。 またインド系の人々が海外特にアフリカ、東南アジアなどで印僑(いんきょう)と呼ばれ確固とした地位を築いているのは周知の事実である。 このような評価の反面、日経新聞の経済教室で現代インド経済が専門の佐藤隆広氏が「モディ政権、経済改革に遅れ」と題してインドの地位を世界大

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    naoki0607 2023/04/28
  • 「抗日中国の起源・五四運動と日本」 - 厚狭吉亭日乗・神戸残日録

    武藤秀太郎著「抗日中国の起源・五四運動と日」筑摩書房(筑摩選書)刊を読み終えた。 現代中国に繋がる歴史事件として天安門広場の記念碑に刻まれているのが、古い順に、・アヘン戦争の起点になった林則徐がイギリスのアヘンを破棄する行動、・太平天国の乱、・辛亥革命、・五四運動である。 五四運動とは今からおよそ100年前に起こった事件で、このの中に載せられている高校教科書の内容を転載すると 『中国では、第一次世界大戦中に日ドイツの拠点であった青島を占領し、山東(半島)権益の継承をふくむ二十一か条要求を中国に認めさせた。中国は戦後のパリ講和会議で山東権益の返還を要求したが受け入れられなかった。これをきっかけに、1919年五月四日、北京で学生を中心とする反日運動がおこり全国の主要都市にひろがった。』 著者は五四運動に関連する事実を党派性を排して中立的立場から丹念に追究し、 ・この運動の中心になった

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    naoki0607 2023/04/20