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【AFP=時事】リオデジャネイロ五輪で21日に行われた陸上男子マラソンで銀メダルを獲得したエチオピア代表のフェイサ・リレサ(Feyisa Lilesa)が、ゴールインする際に自国政府の弾圧に対して抗議を表明するポーズを取ったために、自分の命も危険にさらされる恐れがあると語った。 【関連写真】表彰台に上ったエチオピアのリレサ リレサは、優勝候補だったケニアのエリウド・キプチョゲ(Eliud Kipchoge)に次いで2位でゴールする際、頭上で腕を交差させ、エチオピア政府が異議を唱える人々を弾圧していることに対して抗議の意思を表した。 リレサは「祖国では刑務所に入れられている身内が何人もいる」と述べ、さらに「民主主義について話をすると殺される。エチオピアに帰ったら私も殺されるか、投獄されるかもしれない」「私の国は危険だ。別の国へ行かなければならないかもしれない。どこであれ、自由がない人々の
この時、小沢艦隊が米ハルゼー艦隊を北方へ引き付ける“おとり作戦”を見事成功させており、栗田艦隊が敵輸送船団の集結するレイテ湾へ突入する準備が整っていた。 ところが栗田艦隊は、レイテ湾への突入を中止したのである。栗田長官は、突如として艦隊を反転させ、ブルネイへ引き返してしまったのだ。これは大東亜戦争最大の謎の一つである。 その理由はこれまで謎とされてきたが、深井氏の証言により、「大和」の艦橋内部の様子は冒頭に示したように明らかになった。 戦後、“謎の反転”を命じた栗田中将は、米戦略爆撃調査団のインタビューに応え、このときの決断の理由をこう語っている。 〈艦隊はレイテ湾に向針していました。その日にうけた攻撃状況や、われわれの対空砲火がその空中攻撃に対抗できないという結論から、もしこのままレイテ湾に突入しても、さらにひどい空中攻撃の餌食になって、損害だけが大きくなり、せっかく進入した甲斐がちっと
なるほど、この空襲で戦艦「武蔵」は、魚雷23本と爆弾17発を受けて沈没しているが、「大和」は爆弾1発を受けただけであった。 翌25日、米第3艦隊を吊り上げる“おとり役”を引き受けた小沢艦隊の空母4隻が、米艦載機の攻撃を受けて沈没。さらに、西村艦隊の主力であった戦艦「山城」「扶桑」を含む6隻が沈没し、西村艦隊は事実上全滅した。 一方、栗田艦隊は、重巡「鈴谷」「鳥海」「筑摩」が撃沈されるも、戦艦「大和」をはじめとする日本戦艦群が、米護衛空母「ガンビア・ベイ」を仕留める戦果を挙げた。深井氏は、当時の様子をこう振り返る。 「水平線から、敵艦隊がだんだん見えてきたんですよ。それで主砲を撃ったら、初弾が命中したんです。現在市販されている史実とされる本の類には、そんなことは書かれていませんが、私らは双眼鏡で見ていましたから間違いありません。『大和』の主砲弾は、『ガンビア・ベイ』の艦尾のあたりに命中しまし
敵上陸部隊および輸送船団に“猛射”を浴びせることが、その使命であった。なぜ作戦は失敗に終わったのか--!? 「私が乗っていた戦艦『大和』が、当初の計画だったレイテ湾に向かわず、北へ進路を取ったので、私は指揮所から艦橋に行って、“どうして北へ行くんだ?”と聞いたんです。すると航海士は“わかりません!”と言うんです。 ふと見ると、艦橋の後ろのほうに参謀が三人ほど集まっていて何やら話していたので、そのうちの作戦参謀に“レイテ湾は南じゃないんですか?どうして北へ行くんですか!”と言ったら、その参謀がえらい剣幕で怒り出しましてね。手元の電報を見ながら“この電報にある敵を攻撃しに行くんだ!”と。けれど、その電報には発信者がいなかったんですよ……」 今年99歳を迎えた戦艦「大和」の副砲長・深井俊之助・元海軍少佐は、栗田艦隊の旗艦「大和」の艦橋内部の様子をこう語る。 栗田艦隊が“決戦場”レイテ湾へは向かわ
誕生前夜 第一次世界大戦後の大正10年、日本はアメリカ、イギリスと共に軍拡競争に歯止めをかける為、ワシントン海軍軍縮条約を結ぶ。しかしその内容は日本にとって不平等なものだった。主力艦の保有比率は、イギリス5、アメリカ5に対し、日本は3。条約により日本は、新たな戦艦を建造出来ずにいた。昭和6年、満州事変勃発。領土の拡大を目指す日本は軍備増強へと傾いていく中、遂に日本はアメリカ政府に対し条約の破棄を通告。日米両国は、お互いを仮想敵国とみなし、戦艦の建造を激しく競い合うようになった。そんな中、日本海軍内ではある極秘計画が進められていた・・・。 秘密計画 政府が軍縮条約を破棄するおよそ2ヶ月前、当時帝国海軍のナンバーワン技術者だった男にある極秘の指令が下される。男の名は、造船大佐・福田啓二。福田に課せられた指令は「世界最大の46センチ砲を搭載した不沈新鋭戦艦の研究に着手すべし」というものだった。
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