新聞記者出身らしく、地面を這(は)いずり回るような徹底した現場取材で作品を描き続けた作家の山崎豊子さんが29日、亡くなった。不条理を許さず、世間が目を背ける対象に鋭い視点を当て、小説という手法で切り込んでいく「命がけの作品」は多くの読者の心をつかんだ。 大阪の豪商が集まる一角「船場」にある老舗昆布屋の長女に生まれた。船場生まれで船場育ちの女の子は、通常「嬢(いと)はん」と呼ばれるが、幼い山崎さんはわんぱくな男の子を意味する「こぼんちゃん」で通っていた。 小学生時代は、女子をいじめる男子を見ると黙っておられず、箒(ほうき)や棒きれで男子の頭や背中をたたき、「堪忍」と謝って逃げ出すまで容赦しなかった。 小学生のときから読書が一番の趣味で、外国の長編小説「ああ無情」「巌窟王」「小公女」などを好んだ。夏休みには「堺にある高師ノ浜の家で過ごし、日陰の庭に吊したハンモックに揺られながら読むのが好きだっ