福島原発事故は広島原爆20個分の放射性物質を飛散させた。もはや「どこが安全か」という議論をしている時ではない。線量をきめ細かく測り、高い所から表土を取り除くなど効果的に除染することが急務だ。 飛散は一過性で、除染でかなり減らせる。微粒子なので一律には舞い落ちていない。高濃度の場所は、県全体でも自治体の中でも、個々の校内でも存在する。 福島県内での測定の経験では、平均で毎時0・5マイクロシーベルトの幼稚園で、雨どいや滑り台の下などは5〜10倍になった。園内にミニホットスポットが存在する。 幼いほど放射線の影響を強く受けるので、除染の優先順位が高いのは保育園と幼稚園だ。続いて小中高。子どもが接触する所の除染を急ぎ、各地域、各施設で安心できる空間をつくる。妊婦や病気の人にも放射線がかからないよう努める。室内を毎時0・1マイクロシーベルト以下にするのが目安だ。 測定は園内をなめるように詳し
◆731部隊 関連に注目/「人体標本埋められた」証言、国動かす 1989年に大量の人骨が見つかった新宿区戸山の旧陸軍軍医学校跡地で、厚生労働省は21日、「終戦後、人体標本が埋められた」という軍医学校関係者の証言に基づく初めての発掘調査を始めた。戦時中に中国で細菌や毒物を使った生体実験をしたとされる、関東軍防疫給水部(七三一部隊)の日本における研究拠点があったとみられる場所の一角という。 (武井宏之) 調査するのは、都立戸山公園に隣接する国有地約3千平方メートル。現在の国立感染症研究所を建設工事中の89年に偶然、100体分以上とみられる人骨が掘り出された場所の約250メートル西に当たる。 調査は重機を使った試掘から始まった。試掘は6カ所で行い、それぞれ一辺が11メートルと8メートルの長方形に掘り進め、人骨が出土するかを確かめる。旧尾張藩の屋敷跡のため、江戸期の埋蔵文化財を傷つけないよ
日中戦争中、中国の経済混乱を狙って大量の偽札がつくられた旧日本陸軍の秘密研究所「登戸研究所」(川崎市)。戦後65年が過ぎ、栃木県小山市で中学教師を勤めた元研究員川津敬介さん(88)は「日本の戦時中の実態を若い世代に伝えてほしい」と、朝日新聞の取材に初めて応じた。 ――「偽札」に携わった経緯は 東京府立工芸学校(現・都立工芸高校)の「製版印刷科」で印刷技術を学んだのがきっかけです。陸軍から「印刷技術に秀でた若者が欲しい」と言われ、当時は新宿・百人町にあった「陸軍科学研究所」に17歳で入りました。 任務は偽札づくり。中国の偽札やソ連の偽パスポートを造るだけでなく、進軍先の東南アジアで、日本寄りの新政府が樹立された時に使うための紙幣の研究も行っていました。学校の美術の先生を呼び、アンコールワットの図柄などを描いてもらったりしていたんです。 ――研究所での生活は 1939年に研究所が登戸に移りまし
川崎市多摩区の明治大学生田キャンパスに残されていた旧日本陸軍登戸研究所の建物の一つが、老朽化のために解体される。20日、現地で最後の公開見学会が開かれることになった。 現在は明大校地となっている一帯に戦時中設けられていた「第9陸軍技術研究所(登戸研究所)」では、米国を攻撃するのに使われた風船爆弾の開発や毒ガス研究などが行われていたとされる。 今回解体されるのは、現存する研究所の二つの建物のうちの一つで5号棟。木造平屋建てで、中国経済の混乱を狙った偽札の製造工場だったという。残るもう1棟は昨年、「明治大学平和教育登戸研究所資料館」に生まれ変わっている。 見学会は午前10時〜正午。事前予約は不要で、生田キャンパス中央校舎1階ロビーに集合する。問い合わせは明大生田キャンパス課(044・934・7553)へ。
消費者問題に熱心に取り組んできた秋田市泉北3丁目の弁護士、津谷裕貴さん(55)が4日未明、自宅で殺害された。殺人容疑で逮捕された菅原勝男容疑者(66)は、津谷さんが担当した離婚調停で、相手方の当事者だった。「調停がうまくいかなかった」などと供述しており、うらみを募らせたらしい。剪定(せん・てい)ばさみのほか、爆発を目的にしたガスボンベ、拳銃のようなものを用意するなどしており、県警は「強い殺意があった」とみている。 「午前4時ごろ、何か大きな物が落ちるような『ドーン』という大きな音で目が覚めた」。津谷さんの近所に住む女性(54)は未明の様子をこう話した。別の男性(63)は、戸を拳で殴るような大きな音がしたと振り返った。 県警によると、菅原容疑者は就寝中の津谷さんを狙ったとみられる。津谷さんとは別の部屋で寝ていた妻は「殺してやる」などという怒鳴り声を聞いたという。 津谷さんの弟で、同じ法
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