出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 07:01 UTC 版) 「四納言」の記事における「「恪勤上達部」」の解説 「四納言」という言葉は、『十訓抄』(第一、四納言事)に由来し、漢の高祖の時代に実在した「四皓」(『史記』留侯世家)と呼ばれる賢者に擬えられたと言われている。また、『続本朝往生伝』には当時この4人の他に5名(藤原実資・源扶義・平惟仲・藤原有国、他1名は不詳)を加えた「九卿」が存在したという。 その一方で、四納言は藤原道長政権を積極的に支えた公卿であった。道長と距離を保っていた藤原実資の日記『小右記』寛弘2年5月14日(1005年6月23日)条には、「右衛門督以下恪勤上達部伺候云々、以七八人上達部世号恪勤上達部、朝夕致左府之勤歟」と記されている。「恪勤」には職務に精励するとともに、高官に仕える身分の低い従者(侍)の意味を持っており、