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ブックマーク / antimainstreameconomics.blogspot.com (2)

  • 社会科学の裸の王様・経済学 6 「セイ法則」の欺瞞

    実は、このブログ<社会科学の裸の王様・経済学>は、Steve Keenという経済学者の著書のタイトルを拝借したものです。彼の書いた著書は、いろんな点で面白いものとなっており、このシリーズでも機会を見つけて紹介したいと考えています。 さて新古典派批判というある意味ではやりがいのない作業を遂行する上で、「セイ法則」ということについて触れない訳にはいきません。セイというのは、19世紀のフランスの経済学者の名前(Jean Baptist Say)ですが、その名を冠した「法則」は決して法則といえない代物です。このシリーズの第1回に紹介した引用を参照してください。「原理」と呼ばれるものは、ほとんどの場合、当該社会で力のある富裕者に役立つときに「原理」の名前をつけられるということでしたが、この原理もその通りです。 セイ法則は、「供給はそれ自らの需要を創り出す」という風に定式化されます。それは、<需要側を

    neco22b
    neco22b 2013/12/31
    『「原理」と呼ばれるものは、ほとんどの場合、当該社会で力のある富裕者に役立つときに「原理」の名前をつけられるということでしたが、この原理もその通りです。』
  • 失業率の変化を説明する その3 失業は労働者の責任ではない

    多くの普通の人は知らないと思うが、実は、経済学(ただし主流派、新古典派の経済学)では、多くのよからざる事柄が労働者の責任とされており、しかもその考え方が政治家(ただし多くは保守的な政治家)によって採用されている。この見解は現実離れした前提に依拠しており、それゆえ現実離れいているが、<巨大企業にとっては>薬にもならないが、毒にもならないので放置・許容されている。 そのような見解の一つは、インフレ(物価水準の上昇)を労働者の責任とするNAIRU(インフレを加速しない失業率)の理論でる。この理論では、インフレを加速しないように一定以上の失業率があるできであるといい、高失業率を認めるどころか、むしろ求める。この思想は例えばFRBバーナンキ議長も保持しており、日も参加している仲良クラブのOECDの統計にもその数値が掲載されている。 もう一つは、労働保護立法などで労働者保護を行うと実質賃金が<均衡水

    失業率の変化を説明する その3 失業は労働者の責任ではない
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