5月22日(日)に放送された第20回は、結構盛りだくさんの内容だったんですね。 信繁らが尾藤道休を尋問しているなかで、「刀狩り令」と「喧嘩停止令」のことが出ていました。前者は天正16年(1588)に発令されたもので、百姓からの武器の没収しようとしたもの、後者はさらにその前年あたりから実行されていたもので、村同士の合戦を禁止しようとしたもの。ともに百姓の「自力救済」の凍結をすすめていくものになります。 聚楽第の落書(らくしょ)の話も史実で、『多聞院日記』という史料に出てくるものです。事件は天正17年2月25日のこと、その日に番衆10人が牢に籠められ、3月18日に番衆17、8人が磔にされました。 現在からみると何と理不尽な、と思われるでしょうが、当時の慣習からすると、一定の妥当性もあるのです。事件が起きた場所の人々は、加害者と同類とみなされたのです。 また犯人に仕立て上げられた尾藤道休が、大坂