ブックマーク / reki.hatenablog.com (13)

  • 寿司の歴史 in アメリカ - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメリカで寿司はどのように受容されていったか 海外旅行に行くと、大都市はおろか小都市でも簡単に寿司レストランが見つかります。好奇心で行ったことある方もいらっしゃるかもしれません。味は、まあ、ピンキリでしょう。 アメリカでも小さなほうの町のスーパーでも寿司が売っていて、その浸透ぶりが伺えます。しかし必ずしも日の伝統方式とは限らず、カリフォルニアロールだったりキャタピラーロールだったり、独自のローカライズがなされていて、「江戸前鮨至上主義」の人は怒り出すかもしれません。今回はアメリカでいかに寿司が紹介され、受容されたかをまとめていきます。 1. 日系人が持ち込んだ寿司 アメリカに寿司が初めて上陸した月日は明確に分かっていませんが、1900年代前半には日系移民によって西海岸に持ち込まれていたと考えられています。 初めて寿司をべたアメリカ人の記録は、1904年8月18日、ロサンゼルス・ヘラルド

    寿司の歴史 in アメリカ - 歴ログ -世界史専門ブログ-
    neet_modi_ki
    neet_modi_ki 2019/10/29
    寿司のアメリカにおける受容については、この辺りの記事も。 https://www.sushijob.com/blog/detail.html&id=17 http://karapaia.com/archives/52235614.html
  • コシャリの歴史 - エジプト発のジャンクフードは日本で流行るか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo from "Koshari, Egyptian dish" Tucan Travel Blog - The Chasqui エジプトからきた「炭水化物のオバケ」を喰らえ 「コシャリ」はご存知ですか?べたことはありますか? コシャリとは、コメ、パスタ、豆を混ぜたものの上にトマトソースとフライドオニオンをかけ、お好みで唐辛子ソースや酢を混ぜてべるエジプトのB級グルメ。 炭水化物の塊なので、欲に任せてガツガツ貪ると後で猛烈な満腹感と胃もたれに襲われる恐ろしい料理でもあります。1杯だけでもカロリーは相当なもの。 まさに「炭水化物のオバケ」といったところです。 まだまだ日ではマイナーですが、今後流行する可能性があるコシャリに今回は注目してみたいと思います。 1. エジプトの国民コシャリ Photo by  Dina Said コシャリはエジプトを代表するB級グルメで、特に男性が

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  • タコスの歴史 - なぜタコスは日本で流行らないのか? - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    メキシコの民族から世界のファストフードへ タコスべたことありますか? 「はい!」とまっすぐ手を挙げられる人ってそんなにいないんじゃないかと思います。ナチョスとか、トルティーヤとか、ブリトーとか、それっぽいものはべたことあるけど何をべたかあまりよく覚えていない、という人も多いんじゃないでしょうか。 まだまだ日人には馴染みの薄いべ物ですが、健康の人気が高まりでコーン100%グルテンフリーのべ物としてタコスに注目する人もいます。 いつか来るであろう「タコス・ブーム」の前に、タコスの歴史をまとめておきます。 1. タコスの原型 日では一般的には「タコス」と言われますが、アメリカやメキシコでは"taco(タコ)"と呼ばれます。 タコスは大きく分けると、ソフトタイプとハードタイプに分けられます。 ソフトタイプはとうもろこしの粉を溶かして焼いた柔らかいトルティーヤを使います。タコスの

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    neet_modi_ki
    neet_modi_ki 2019/03/22
    タコスもブリトーも、これ系のメキシコ/テクスメクス料理、なかなか都心でも食べれるお店が少ないな。日本のメキシコ料理店、昭和からやってるような日式メキシコ料理が多いというか、あまり本格的じゃないイメージ
  • ネクタイの歴史 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    なぜここまでネクタイは広がったのか クールビズが結構浸透してきて、特にかしこまった場ではない普通のビジネスの場ではノーネクタイでもあまり失礼でないという風潮になってきました。やっぱ皆あまりネクタイが好きじゃなかったんだなあと思います。 息苦しいし、つけるの面倒だし、ないにこしたことないんですよね当。 日人のネクタイ離れはどんどん進んでいってるわけですが、なぜここまでネクタイが広まったのか、単に「みんなやってるから」以外の理由がある気がします。見た目のかっこよさもあるし、防寒という実用的な面もあるのでは? ということで今回はネクタイの歴史です。 1. 古代の「ネクタイ」 厳密には我々が言う所のネクタイとは違いますが、「首に巻く布」のファッションは古代世界にも存在しました。 最古の「ネクタイ」は、秦の始皇帝の墓を護衛する兵馬俑に埋められた、陶器の兵士が身につけているものです。 この「ネクタ

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  • 【WW2】枢軸国に入る可能性のあった中立国・準枢軸国 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    もしかしたら枢軸国の一翼になっていたかもしれない国 第二次世界大戦における枢軸国の主要参加国は、ドイツ、イタリア、日の三国です。 この他に枢軸国側で参戦した国は、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、スロバキア、クロアチア、フィンランド、タイが挙げられます。その他には傀儡政権がいくつか枢軸国入りしたケースもあります。例えば、ヴィシー・フランス、ギリシャ、アルバニア、ビルマ、ベトナムなどです。 連合国も活発な外交を繰り広げ自陣の国を増やしていたわけですが、枢軸国も様々な外交チャネルや陰謀を駆使して自陣を広げるべく画策していました。 その結果いくつかの国は、何らかの条件が重なれば枢軸国入りをしていた可能性がありましたが、結局中立を保つことになりました。 1. スペイン国 最も枢軸国側での参戦が有力だった国 1936年〜1939年のスペイン内戦は後に第二次世界大戦の実験場と言われた戦いで、ナチス

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  • 【全訳】アメリカ軍のゾンビ制圧計画「CONPLAN 8888-11」 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    ゾンビ襲来時の緊急軍事対策マニュアル 「テロリズムの作戦構想計画8888-11(CONPLAN8888-11)」は、アメリカ戦略軍が2010年に作成し2011年に発表した「対ゾンビ制圧計画」です。 仮にゾンビが発生し人的・経済的・資源的被害が発生している場合、どのようにして防衛対策準備を取り、ゾンビを倒し、緊急時から平常事へと回復させるかというステップがまとめられています。 冒頭に「これは冗談で作成されたものではない」と断り書きがわざわざあるように、これはアメリカ戦略軍の当のスタッフによって作られた「物」です。 ただし、どちらかというと「若手戦略家養成のためのプログラム」の一環であるようです。 アメリカ戦略軍は、核抑止力・敵ミサイル攻撃の防御・早期警戒、そのための作戦立案と指揮を負っている機関で、空軍・海軍が持っている核戦力を一括で管理しています。 アメリカ戦略軍の若手戦略家は、一人前

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  • ドネルケバブの歴史 - ドネルケバブは誰が発明したのか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    早い、安い、美味い、三拍子揃ったパーフェクトなファストフード ドネルケバブは東京の街中ではかなり一般的なファストフードになりました。 地方でも、お祭りやイベントの屋台でかなり見るのでべたことある人も多いと思います。ドネルケバブ屋から漂ってくる肉とスパイスの香りを嗅ぐと、たまらなく腹が減ってくるものです。 今やドネルケバブは世界中でも当たり前にべられるファストフードになり、トルコが世界に誇る料理ですが、誰がどのように発明したのかはややこしい議論があります。 1. ドネルケバブの特徴 そもそもドネルケバブとは何か。 google先生の解説によると 「スライスされたスパイシーなラム肉をピタパンに挟んだトルコ料理」 となっています。 重要なのは「ピタパンで挟んだ」というところです。 トルコ料理では「〇〇ケバブ」というのがたくさんありますが、ナイフとフォークを使って椅子に座ってべるのが普通。ド

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  • 日本軍による占領がフィリピン社会に与えた根深い問題 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    悪い意味で何も変えなかった日軍のフィリピン占領 太平洋戦争とその影響が語られる時、日の社会や政治体制、人々の心の面がどう変わったか、あるいは変わっていないか、という面にフォーカスが当たる傾向が多いように思います。 それはそれで大事なのですが、日がおっぱじめた戦争が、他の国々にどれくらい大きな影響を与えたかという視点で語られることはあまり無いように思います。 あっても、「アジア解放に多大な貢献した」とか「住民を殺したり強姦しまくった」みたいな物事を単純化した見方ばかりです。 さて、日軍のフィリピン占領は、実際のところフィリピン社会の土台を揺るがすような変化を何も起こすことはありませんでした。一方で戦後フィリピンの国の選択肢を狭め、国の有り様を決定づける結果になりました。 1. 仮想敵国・日 フィリピンは1901年からアメリカの植民地になっており、当然アメリカの影響力が最も大きかった

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  • 歴史に名が残る超有名シェフ(前編) - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    Photo by Lynn Gilbert 料理歴史にその名を刻んだ有名な料理人たち 料理歴史というのは体系化するのが当に難しいと思います。 常に進化し続けているので、いつ・どこで・誰が・何をして・どうなったかの記録などほとんど残っちゃいない。 そこいらのおばさんやおっちゃんが考えたレシピが普及することなどザラなので、誰が発案者かといった問いは意味をなさないことが多いです。 そもそもカリスマ・シェフという存在自体が現代に生まれたものなので、料理人の名前を後世に残すということ自体ほとんどなされていないのですが、それでも歴史に名前が残っているシェフが存在します。 1. アントナン・カレーム 1784-1833(フランス) フランス料理の基礎を築いた男 アントナン・カレームは現在のフランス料理の基礎を発明した「フランス料理の父」です。 1783〜84年に貧しい労働者の家に生まれたカレームは

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  • 【同祖論】日本民族と兄弟という説のある民族 - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    信じるか信じないかは貴方次第… 日人と他民族の同祖論というのはどういうわけか人気があるテーマです。 だいたいトンデモ論で片付けられることが多いですが、もっともらしい理屈や理論が備わっているので、信じている人も意外といるようです。だいたい、日人ほど「日人論」とか「日人のルーツ」のようなものにこだわる人たちも珍しいと思います。単に自分たちのルーツを知りたい、というだけでなく、ある種のナルシシズムや優越感があって、個人的にはどうかと思うのですが。 様々にある「同祖論」も、当時の政治的経済的な要求があって作られている感があり、当時の人たちの対外感が垣間見えて興味深いものになっています。 1. 日琉同祖論 日琉同祖論は、その名の通り日民族と琉球民族は同じ出自の民族である、とする説。 この説はもともと、16世紀前半の京都の僧侶・月舟寿桂が「鶴翁字銘井序」という書物に「源為朝は伊豆大島で死んだ

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  • 実現する?夢の国際海底トンネル - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    電車に乗ってロンドン、ニューヨークへ! LCCの登場で、海外移動が随分と安価で気軽になりました。昔だと10万円近くかかった路線も、2~3万で行けたりします。 そんな航空機黄金時代の現在ですが、いまだに「国際鉄道」への期待と憧れは大きいものです。 中国が国家の威信をかけて取り組む「一帯一路」構想もあり、大陸間横断鉄道が強力に推進されています。コスト的に見合うのかはなはだ疑問ですが、広大な領土を持つ中国は国際物流を活性化することで地方の発展を促すという至上命題があるに違いありません。 そしてそんな国際物流のカギを握るのが「国際海底トンネル」です。 いかに高コストとはいえ、最寄りの駅から電車を乗り継いでロンドン、ニューヨークへ!というのはロマンがあるものです。 今回は現在建設計画がある世界の海底トンネル計画をピックアップします。 1. 日韓トンネル(日韓国) 実現のハードルは高い「平和のトン

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  • WWEにおける「日本」の描写・恐怖からCOOLへ - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    アメプロにおける「日」描写はどう変わったか ブログは世界史専門ブログと銘打っておりますが、個人的にアメリカン・プロレス(以下アメプロ)が非常に好きで、どうしてもプロレスと歴史を絡めて何かを書きたいという衝動にかられます。 その書きたい衝動にかられて、WWEのヒールレスラーに見る「アンチ・アメリカ」という記事を書いたところ、賛否含めそこそこ反応をいただきました。 この時はアメリカの現代史とアンチ・アメリカ文脈の変化という点にトピックを当てましたが、今回は「アメプロにおける日の描写の変化」という点を見ていきたいと思います。 注意していただきたいのは、「日人レスラーの歴史」ではなく、どう「日」が描写されたかという観点でして、故に日人ギミックの外人レスラーというのも登場してきます。 なんであの人を出さないんだ!事案が多数発生しような予感がしますが、あらかじめご容赦願います。 1. 「狡

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  • 【絵画】イエス・キリストの顔はどう変化したか - 歴ログ -世界史専門ブログ-

    「神の子」の顔はどのように表現されたか 我々が想像するキリストの顔と言えば、 肩まで垂れた長髪 面長な輪郭 二重でぱっちりした目 こけた頬 口元とあごに生えたヒゲ のような感じでしょうか。 絵が下手な人に「キリスト描いてみて」って無茶ぶりしても、 だいたいこのイメージに従って書いているような気がします。 それにしてもいつの時代からこのイメージが出来上がっているのでしょうか? 初期キリスト教時代のイエス像 とにかくなんかすげーやつ キリストがゴルコダの丘で十字架に磔にされて死亡してから、イエスの弟子たちはローマ帝国各地にイエスの教えを伝えるべく伝道の旅に出ます。 徐々に信者数は増えていったのですが、どうも最初の頃はキリスト像など特に存在しなかったようです。 ヨハネによる黙示録には、イエスの姿についてこのように記述がなされています。 そこでわたしは、わたしと、七つの金の燭台が目についた。それら

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