2008年11月5日のブックマーク (4件)

  • 第15回 セカンドライフの「わかりやすさ」について考える(2) | WIRED VISION

    第15回 セカンドライフの「わかりやすさ」について考える(2) 2007年9月 6日 ITメディア コメント: トラックバック (0) ――セカンドライフ考察編(10) (濱野智史の「情報環境研究ノート」」第14回より続く) ■15-1. 「サイバースペース」という空間的隠喩――「サイバースペース」はなぜそう呼ばれるか 前回からの続きです。前回筆者は、とりわけブログやSNSといったネットワーク的世界に縁遠い人々にとって、セカンドライフという「仮想空間型」のサービスは「わかりやすい」ものに見えるのではないか、と指摘しました。ブログやSNSは、「リンク」が複雑に絡み合ったリゾーム状の「わかりにくい」世界であるのに対し、セカンドライフは、現実の世界を模倣した「わかりやすい」世界だというわけです。 以上の仮説は、先ごろ上梓された東浩紀氏の『情報環境論集』(講談社BOX、2007年)に収められている

  • 「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」『情報環境論集』 - logical cypher scape2

    LSDを買うかどうかは迷っていたのだけど、http://d.hatena.ne.jp/massunnk/20070825/p3をきっかけに購入。 滅茶苦茶面白い。 これは、結論が出なかったという点では「失敗作」なのかもしれないが、こんなに面白いとなると「失敗作」と呼ぶのはもったいない。 この作品から『動物化するポストモダン』が生まれてくることになる。 この論文は、面白いというか示唆に富んでいるというか、動ポモではわからなかった哲学的ないし思想史的背景がよくわかる。 東ってやっぱり滅茶苦茶読んでいるんだなー、ということもよくわかる(^^; 哲学畑に閉じこもっていてもよくないから出ていこう、とした、東の考えはよくわかるんだけど*1、もうちょっと哲学畑でいじくりまわしてみたい自分としては、この論文はスタート地点になりうる気がした。 『不過視なものの世界』で言われた通り、「見えるもの(イメージ)

    「サイバースペースは何故そう呼ばれるか」『情報環境論集』 - logical cypher scape2
  • 断続渋滞とサイバースペース - ニート☆ポップ教NEO

    今日はmu(id:emptiness)たち『id:criss-cross』の執筆メンバーらと飲んだり話したりの予定。 すでに3時からの編集かいぎには猛烈に遅刻中のだめな人ですわ。しかもバスが断続渋滞に巻き込まれてます(笑)いやいや笑って許して。 うーんそれにしても「サイバースペースはなぜそう呼ばれるか」は面白い。いやSFに詳しくない僕なんかにはこの論文の面白さはホントは欠片もわかるはずないのだけれど「知的興奮」というか「知的幸福」が随所から高速で伝わってくる…!人によっては麻薬のような「多幸感」(多考感)におそわれるのではないだろうか。 これは人によっては『存在論的、郵便的』の問題系を引き継ぐ「傑作」である。しかし「失敗作」でもある。東浩紀が「あとがき」でも書いているが、これまで出版しなかったことからもわかるように。 なぜか。これに代わって『動物化するポストモダン』が出版されたことがヒント

    断続渋滞とサイバースペース - ニート☆ポップ教NEO
  • 2008-11-04

    『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』再読中 今日は2-6を読んだ。いよいよ『存在論的、郵便的』と『動物化するポストモダン』との接合点としての「サイバースペース」論が展開されていく。 要約するとれば ジョナサン・クレーリー『観察者の系譜』を頼りにしながらリアリズムとモダニズムがともに依拠する「目」あるいは「耳」の遠近法的な認識論が、フーコー『言葉と物』でも指摘されていたように、20世紀にいたる「理論」を構造的に支えている。ソプチャクが唱えた「リアリズム(写真的・現前的):モダニズム(映画的・再現前的):ポストモダニズム(電子的・シミュレーション的)」という3つの時代性を引き合いに出しながら、2-5でも言及したタークルやストーンに至るまでソプチャク自身やボードリヤール、ヴィリリオなどにも共通して語られる「シミュレーション」という概念の曖昧さが、彼らの20世紀的な「理論」構造にデリダのいう「

    2008-11-04
    negative-naive
    negative-naive 2008/11/05
    セルクマ。日本語がおかしいところがあちこち。そして要約部分が非常に読みづらい。