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*歴史とj人物に関するneko73のブックマーク (106)

  • ケネディ神話。 - 小学校笑いぐさ日記

    ジェラルド・カーティスという人物がいます。 Wikipediaによれば、 「アメリカ合衆国の政治学者、コロンビア大学教授。 専門分野は日政治外交、比較政治学、日米関係、米国のアジア政策」 だそうで、 「政治と秋刀魚・日と暮らして四五年」なんても出しているとおり、英語・日語どちらでも講演ができる大変な知日家であり、優れた知識人です。 ……ということを知ったのはごく最近、よそのブログを読んだのがきっかけなんですけど。 “ケネディー大統領 偉大な一言: 「教育は国防である」”(外国人の不動産情報・お部屋探し仲介サポート: Real Estate Agency in Tokyo) この記事は、前掲の「政治と秋刀魚」の感想を書いたものです(例によって私は読んでない)。 に書かれた 「教育とは国防である」 という故ケネディー大統領の考え方が大変興味深かったので早速書きたいと思います。 19

    ケネディ神話。 - 小学校笑いぐさ日記
  • 安重根のひ孫さんは立派ですね。ホルホルホル

    年齢:それなり 性別:たぶん♂ 特技:ガンカタ 職業:小隊長 挨拶:傾注!ここは「日々是鍛錬ナリ。」が座右の銘でありながら、鍛錬したりしなかったりする隊長の日常を綴る戯言ブログである。よって、貴君等の戦果となる状況は期待薄だ。しかし損もしないと思うから、ゆっくりしていってくれ。 尚、私への直接通信はこちらへ。 以上、状況開始! お願い: 画像の転載はご遠慮下さい。 どうしても、って時はコメ欄で連絡を。たぶん、ダメって言いませんから。 (08/07)米政府、台湾への新型F16売却を断念。 (08/06)石原のジイサマ、こんな時期に何をw (07/20)原発に寿命は無い? (07/18)ラーメンはウリナラ起源ニダ! (07/17)そうか、そんなに悔しいかw (05/29)miigimohidarimootomodachiさんへ。 (03/28)阿呆の考える事は理解できんw (03/26)派遣

    安重根のひ孫さんは立派ですね。ホルホルホル
  • 近衛文麿と日本を滅ぼした正義: Meine Sache ~マイネ・ザッヘ~

    今回の選挙は、民主党の「歴史的」な勝利となるわけですが、よく考えてみれば自民党の一党支配はすでに1993年に打破され、その後の自民党は社会党と組んだり、自由党と組んだり、公明党と組んだりしてようやく政権運営してきたわけで、今回を歴史的と呼ぶのは誇大広告と言わざるを得ません。 ところで真に歴史的と言える93年の政権交代の主役は、日新党を立ち上げて新党ブームをを起こした細川護煕氏で、彼はかの近衛文麿の孫でした。そして今回、鳩山由紀夫氏は友愛革命によるアメリカ流グローバリズムの見直しと、東アジア共同体の建設を志していますが、戦前の日において、「英米の経済帝国主義」に支配された「世界の現状を打破せよ」と率先して主張したのは近衛文麿で、「大東亜新秩序」の建設を国策と規定したのは近衛内閣でした。 当時の日における進歩派で、東亜同文会の会長を務めて孫文らと親交を結ぶなど親中派であり、毛並みのよい理

  • 藤原岩市 - Wikipedia

    この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "藤原岩市" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2017年8月) 藤原為蔵の二男として兵庫県多可郡(現在の西脇市黒田庄町喜多)に生まれる。柏原中学校を卒業し、陸軍予科士官学校を経て、1931年7月、陸軍士官学校(43期)を卒業、同年10月、陸軍少尉任官、歩兵第37連隊付となった。天津駐屯歩兵隊付、豊橋陸軍教導学校付などを経て、1938年5月、陸軍大学校(50期)を卒業。歩兵第37連隊中隊長、第21軍参謀、留守第1師団司令部付を歴任。 藤原はもともとは情報畑の人間ではなかった。1939年、服部卓四郎によって中国から呼ばれて参謀

    藤原岩市 - Wikipedia
  • 樋口季一郎 - Wikipedia

    樋口 季一郎(ひぐち きいちろう、1888年〈明治21年〉8月20日 - 1970年〈昭和45年〉10月11日)は、日の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将[2]。兵庫県淡路島出身。歩兵第41連隊長、第3師団参謀長、ハルピン特務機関長、第9師団長等を経て、第5方面軍司令官兼北部軍管区司令官。 第二次世界大戦前夜、ドイツによるユダヤ人迫害を逃れた避難民に満洲国通過を認め[3]、「ヒグチ・ルート」と呼ばれた脱出路が有名。大戦中は麾下の部隊がアッツ島の戦い、ソ連対日参戦に対する抗戦(樺太の戦い、占守島の戦いなど)を行った[3]。 1888年、淡路島にある兵庫県三原郡庄村上庄(町村制後:阿万村、現:南あわじ市阿万上町字戈の鼻)に父・奥濱久八、母・まつの5人兄弟(9人とも言われている)の長男として出生。奥濱家は廻船問屋で代々続く地主であったが、明治以降、蒸気船の普及に伴い時代の流れに取り残され父・久八

    樋口季一郎 - Wikipedia
  • 秦郁彦と林博史がなんで仲悪いのか少しわかったよ - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)

    今日はこんなを読みました。 沖縄戦「集団自決」の謎と真実 作者: 秦郁彦出版社/メーカー: PHP研究所発売日: 2009/03/07メディア: 単行 クリック: 10回この商品を含むブログ (3件) を見る 沖縄ノート』という著作に、沖縄で米軍との戦闘が行なわれた際に起こった、一般民衆の集団自決は、軍の命令によるものであったと記した作家・大江健三郎と、その版元である岩波書店を被告として、目下、裁判が進行中の「沖縄集団自決問題」。苛烈な戦場となった沖縄で、日軍と民衆のあいだにあった事実とは? 書は、軍命令の有無をめぐり、戦史の深層に分け入るとともに、 多くの証言と調査から「沖縄戦の事実」を掘り起こそうとする、貴重な論考集である。論考を寄せる顔ぶれは、秦郁彦、原剛、宮平秀幸、藤岡信勝、曽野綾子、江崎孝、笹幸恵。「沖縄戦」の真の姿を考える上で、欠くことのできない一冊である。 また曽野綾

    秦郁彦と林博史がなんで仲悪いのか少しわかったよ - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)