途中閉幕の「佐藤可士和展」。展示風景を特別掲載4月25日から始まった緊急事態宣言によって会期途中で閉幕した国立新美術館の「佐藤可士和展」。その主な展示風景を抜粋して紹介する。 日本を代表するクリエイティブディレクターのひとりとして知られる佐藤可士和(さとう・かしわ)の過去最大規模となる個展「佐藤可士和展」が、東京・六本木の国立新美術館で開催された。同展本来の会期は5月10日までだったものの、緊急事態宣言の影響で4月24日をもって閉幕。これを受けて、主催の国立新美術館・SAMURAI・TBSグロウディア・朝日新聞社協力のもと、その主な展示風景を掲載する。 国立新美術館「佐藤可士和展」展示風景 入口 1965年東京都生まれの佐藤は、多摩美術大学グラフィックデザイン科を卒業後、株式会社博報堂に入社。2000年には独立し、クリエイティブスタジオ「SAMURAI」を設立した。90年代から現在に至るま
こんな桃、見たことない。 川上に目をやれば、どんぶらこ。 洗濯をしていたおばあさんが見つけたのは、世界でいちばん大きな、桃でした。 このような桃は、わたしたちも見たことがありません。もちろんおばあさんも、見たことがありませんでした。山に柴刈りに行っていたおじいさんも、見たことがなかったはずです。流れてきたのは、本当に大きな桃だったのです。 Hello, Momotaro. 家に持ち帰って割ってみれば、中にはなんと、玉のような赤ん坊。 おじいさんもびっくり。おばあさんもびっくり。わたしたちまで、びっくり。 おじいさんもおばあさんも、最初は食べるつもりで桃を切ろうとしたのです。でも、中から飛び出したのは、元気な男の赤ん坊でした。こどものいなかったおじいさんとおばあさんは、おおよろこび。桃から生まれた男の子は、桃太郎と名付けられました。 身長は4倍、パワーは最大300倍。 元気いっぱい、すくすく
大阪市内で複数の料理店を営む一方、テレビ番組にも多数出演し、軽快なトークで人気を博してきた料理研究家の神田川俊郎さんが、25日朝早く亡くなりました。81歳でした。神田川さんは新型コロナウイルスに感染し、大阪市内の病院で治療を受けていたということです。 神田川俊郎さん、本名、大竹俊郎さんは、昭和14年に京都市で生まれ、有名料理店で修業を積んだあと、昭和40年に大阪・北区で和食料理店を開きました。 その後、複数の料理店の経営を手がけてきたほか、テレビ番組にも多数出演し、華麗な包丁さばきと「料理は心や」の決めぜりふなど、軽快なトークで人気を博しました。 また、全日本調理師協会の名誉会長を務め、全国各地で料理人の育成にもあたってきました。 関係者によりますと、神田川さんは今月16日に、自宅で体調を崩して病院に運ばれたあと、新型コロナウイルスへの感染が確認されたということです。 入院し治療を受けてい
落語家・三遊亭円楽(71)とタレント・伊集院光(53)が落語会を行うことが25日、分かった。6月13日に東京・有楽町よみうりホールで「三遊亭円楽・伊集院光 二人会」として昼夜2公演を行う。昨年、円楽がTBSラジオ「伊集院光とらじおと」にゲスト出演した際に、提案し実現にこぎつけた。 伊集院は、84年に17歳で円楽(当時・楽太郎)に入門し、「楽大」を名乗った。88年に二ツ目に昇進したが、師匠に内緒で出演していたラジオ番組で売れて、90年に廃業し、タレント活動に専念していた。 円楽は「落語が好きな芸能人はいっぱいいる。みんな味方だし、(落語をやる芸能人には)やってくれて『ありがとう』だと思っている。伊集院には『売れたんだから落語をやれよ。俺は喜ぶよ』と言ったら、乗ってきてくれた」と話した。伊集院との関係も「俺は破門にしていない。勝手に廃業しただけ。『休業でもいい』と言っていた」と変わらぬ師弟関係
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