冷たい雨をどうにかこうにか切り抜けて、午後三時前に保谷の南に流れ着く。そして東町一丁目で、『保谷スダジイ広場』(スダジイは常緑樹の名である)という、わりと新しめな公園広場を見付けたのだが、その前に建つ立派な金属プレートに『民族学博物館発祥の地』とあるではないか。1939年から1962年まで、渋沢敬三・高橋文太郎・今和次郎が力を合わせ、渋沢の自宅にあった『アチックミューゼアム(日本常民文化研究所。日本各地の生活文化の研究や民具の収集を行う)』から、収集した民具をこの地に移し、それらを展示する『民族学博物館』と『民族学研究所』を運営していたのである。おぉ、敬愛する今和次郎(説明文内の肩書きは、民家研究者&考現学提唱者となっている)の名がプレートに刻まれていることに、素直に感動。今は、博物館の全体構造図を描き、民家の移築などにも尽力と説明されている。かつてここに、そんな民族学の夢が花開いていたと