タグ

人生に関するneo16teaのブックマーク (831)

  • 極貧神社暮らしから始まった私の人生の話|イツキフミ

    子どもの頃、『貧乏すぎて地域の神社の奥に一家で住んでいた』、と人に言うと、ほぼ100%の確率でビビられ、 「神社って住めるの?」 と訊かれる。多分、普通は住めないと思う。だって今まで生きてきて、『わかる〜ウチも〜』という人には会ったことがない。 別に神主でも何でもなく、ただ住んでいるだけ。私が住んでいた神社が特殊だったんだと思う。 うちの親は、両親ともに無職、というユニークな二人で、当然お金がなくて、町内会の人に 「神社の管理人をするなら神社にタダで住んでいいよ」 と言われたので、二つ返事で頷いて神社に住むことにした。 最終的には五人兄弟一家七人で、私が高校二年生になるまでたった二部屋の、風呂なしの神社の奥に住んでいた。 私の人生は、どう足掻いたってこの『神社暮らし』から始まる。 神社暮らし 住んでいた神社の奥はかなりボロくて、お風呂もなければトイレも簡易水洗みたいなトイレだし(行くのがめ

    極貧神社暮らしから始まった私の人生の話|イツキフミ
  • 地方の母子家庭出身の女が東大で博士号を取るまで

    生活保護博士号ニキとか授業料値上げの報道とかに触発された。 残念ながら、いわゆる理解のある彼くん要素がある。 長いと思ったら一番最後だけ読んでくれるとうれしい。 東大に入れたのは単純にペーパーテストがめちゃくちゃできたからだが、目指すようになったのは模試の結果を見た高校の教師が勧めてくれたことがきっかけ。たぶん高2の春。 それから東大を意識するようになって、現国の問題で毎回おもしろい文章読めて最高〜、図書館で出典探して著者経歴を見ると東大出身者多いな〜、東大に行けばこういうおもしろい考えにもっと出会えるのかな??ぐらいの浅い動機で東大を第一志望にし始めた。 金のことはあんまり考えてなかった。 高校は私立だったが奨学生として学費は全額免除してもらっていた上に(その条件で入学した)、民間団体が県民対象でやっていた給付型奨学金も支給されていた。 学力も授業だけで問題なかったので予備校に通う必要も

    地方の母子家庭出身の女が東大で博士号を取るまで
  • 私が学問に目覚めた時 法学部教授・蒲島郁夫

    皆さんと違って私が歩いてきた道は、名門高校から東大に一直線に進むようなエリートの人生ではなく、たいへんな回り道でした。しかし、その回り道人生から得られた教訓は、人間の可能性は当に無限だということです。 私が生まれた所は、熊県の小さな村です。昔は稲田村と言っておりましたから、村の風景が想像できると思います。私は高校を卒業するまで一度も勉強した思い出がありません。全然勉強をしないものですから、高校時代は大変な落ちこぼれで、同級生220人中200番台の成績でした。私の高校時代の姿から、誰も私が東大教授になるとは思わなかったでしょう。 勉強はしませんでしたが、は誰よりたくさん読みました。これが後になって私の人生に影響を与えたように思います。自分の経験していないこと、知らない世界をによって想像する。それがいつしか自分の夢につながっていったのではないかと思います。 少年時代は3つの夢を持ってい

  • 「絵が上手いの、ずるい」と言われた

    子どもたちと接する機会があり、一緒に絵を描いていたらその親?に言われた。 子どもたち「絵、うま!どうして?」 「君たちくらいのころから描き続けていたからだよ」 親「え~w最初から上手だったんだw」 「最初はこの子たちより下手でしたよ~」 親「ないないw最初から上手いから描き続けるんだよwいいな~ずるいよねw」 子どもの前で何をいってんだこいつ…と思いながらその場は適当にあしらった。 こいつに初めて描いた絵を見せたいもんだ。 ただのぐちゃぐちゃの線だぞ。 最近はオタク文化が根付いたのか絵描く子多いから今の子の方が上手いだろ。(おそらく) というか「ずるいよねw」ってなんだ…。ずる…? ふと絵描き人生でも振り返るかと思い、吐き出しがてらここに投げることにした。 * 初めて絵を描いたのは覚えていない。物心ついたときから暇だったら絵を描いていた気がする。 幼稚園で一番好きなのは絵を描くとき。 想像

    「絵が上手いの、ずるい」と言われた
  • Not Found

  • 就職できなかった|Suzuki

    22歳の無職は笑えないなどと、芯から思ってもないことをうそぶいているあいだに、おれは23歳になり、24歳になり、とうとう今年の春には25歳を迎えようとしている。25歳の無職、それも何か具体的な目標のある無職ではなく、ただ就職という選択を先送りにしているだけの後ろ向きで消極的な25歳無職は、当に誰も笑えない。笑えないと思いつつ、まあ実際にそうなりつつあるんだから、せめて自分くらいは「なっとるやろがい!」と笑ってみるほかない。 2022年の3月に大学を卒業してから、もうすぐ2年が経つ。そうするとつまり、今から就職を目指すとしても、21年の3月から就職活動を始めていた大卒の同級生とは、スタートが最大で3年ズレていることになる。高校を卒業してすぐに働き始めた同級生からは、6年も7年もズレている。だからそろそろ時効だと思って、今まで触れることのできなかったあれこれについて書いてみようと思う。 ✱

    就職できなかった|Suzuki
  • クックパッドを退職しました - 昼メシ物語

    2024年1月末まで在籍していますが昨年12月に業務は終えていて、いまは有休消化期間中です。2010年から約14年間勤めてきた、自分の生き様そのものとも言えるクックパッドを離れるのには、表現しきれないほど大きく、複雑な思いがあります。 僕がこの14年間でやってきたことを振り返ってみます。 入社 クックパッドに入社した時は新卒3年目相当で、26歳でした。もともと料理Ruby が好きで、当時まだ珍しかった Ruby on Rails でサービス開発をしているらしいという点や、当時からネットウォッチしていた @ryo_katsuma さんが所属していること、直属の上司の井原さんが転職したことが決め手になり、体当たりで飛び込みました。当時の僕はほとんど実績もなく、入れてもらえるかギリギリのところだったと思いますが、おそらく井原さんが頑張って交渉してくれたのだと思います。当に感謝しています。こ

    クックパッドを退職しました - 昼メシ物語
  • 人生はどこからでも軌道修正できる、と思った時のこと|うえはらけいた | 漫画家

    この文章は、國學院大學とnoteで開催するコラボ特集の寄稿作品として主催者の依頼により書いたものです。 最後まで読んでくださりありがとうございました! 記事は、國學院大學とnoteのコラボ特集「#今年学びたいこと」への寄稿として描いた漫画です。他の作品はこちらでご覧頂けます↓ https://note.com/topic/feature/p/collabstudy

    人生はどこからでも軌道修正できる、と思った時のこと|うえはらけいた | 漫画家
  • モテる友人を持ったわたしのあまりに単純なミス(古賀及子)|シカク(大阪のインディーズ書店)

    古賀及子さんのエッセイ連載、今回はおためし版で無料でお読みいただけます! とにかくモテる人だった。 知り合ったのは当時全盛期だったミクシィの、コミュニティのオフ会でだ。昭和50年代の1月から3月に生まれた人たちだけが参加できる集まりで、参加者に誕生日を聞くとだれもかれもが早生まれなのが、そういうものだとわかっていても可笑しかった。私は1月生まれで、彼女は3月生まれだ。 なんだかもう当にモテた。会う男性がみんな彼女を、驚くほど簡単に好きになる。 さらさらでまっすぐの栗色のロングヘア、茶色い瞳のよく動く丸い目、長いまつげが印象的だけれど濃い化粧はせず、服装は気取らずカジュアル、いつも笑顔で、ふるまいは一生懸命、恋人はおらず、地方から東京に出てきてひとり暮らしで仕事を頑張るようすにひかれる気持ちは理解できたが、それにしてもという釣れ具合だった。 彼女と私は同い年で、偶然自宅が近所だったこともあ

    モテる友人を持ったわたしのあまりに単純なミス(古賀及子)|シカク(大阪のインディーズ書店)
  • ペーパーテストだけで選抜した子の人生を35年追跡調査すると、クリエイティビティや芸術の分野でも上回っていたという論文がある「身も蓋もない…」

    海外営業マン @supremeeigo 「ペーパーテストだけで選抜した子」の人生を35年間追跡調査すると、ペーパーテストで劣った子と比較してクリエイティビティ・芸術の分野でも上回っていたという身も蓋も無い話が書いてあった😁 さすがピンカー 多分元論文はこれです:my.vanderbilt.edu/smpy/files/201… twitter.com/kodai_kusano/s… pic.twitter.com/Mrh0YuECgs 2023-11-12 08:35:34

    ペーパーテストだけで選抜した子の人生を35年追跡調査すると、クリエイティビティや芸術の分野でも上回っていたという論文がある「身も蓋もない…」
  • 「イベントで3回連続誰も来なかった」描きたいものとやる気さえあれば一人でも続けることは可能/カレー沢薫の創作相談

    カレー沢先生こんにちは。いつも先生のウィットに富んだ回答を楽しく拝見しています。 さて題ですが、私の悩みは自信がないことです。 自分は即売会の雰囲気が大好きでイベントに参加するのですが、マイナージャンルのため誰もスペースに来ません。 先日参加したイベントにも誰も来ず、ついに3回連続で誰も来ないという状況になりました。 同ジャンルの人と交流もなくその上マイナージャンルのため、誰にも見てもらえないと分かっているので交流したり宣伝したりすれば少しはマシになると思うのですが、自分は相手にとって交流する価値に値するのか、自分の書いた作品は他人が読むに値するのか、と考えるとそうではないと思ってしまって交流したり宣伝したりする気持ちになりません。 その状態でわざわざ新刊作ってイベントに出る意味ってあるのかな、と最近思うようになりました。 自分の書いたものを「見てみて〜!」と言える人たちが羨ましいです。

    「イベントで3回連続誰も来なかった」描きたいものとやる気さえあれば一人でも続けることは可能/カレー沢薫の創作相談
  • 大槻ケンヂ「つぶれる前の雰囲気がわかるようになって」3回事務所が倒産、バンドからの脱退…それでも音楽活動を続けた理由|概要|インタビューサイト 双葉社 THE CHANGE

    90年代の音楽シーンに颯爽と現れ、ティーンエイジャーを中心に熱狂的なファンの支持を集めた筋肉少女帯。そのフロントメンバーが大槻ケンヂだ。今年メジャーデビュー35周年を迎え、アルバム『一瞬!』の発売、ライブ活動やフェスへの出演など、今なお変…

    大槻ケンヂ「つぶれる前の雰囲気がわかるようになって」3回事務所が倒産、バンドからの脱退…それでも音楽活動を続けた理由|概要|インタビューサイト 双葉社 THE CHANGE
  • 大槻ケンヂ「今のことしか書かないで」(第12回)鬱フェス新宿の子犬

    先日、クラブチッタ川崎で行われた「フェス2023」に参加した。神聖かまってちゃん、上坂すみれさん、ベッド・インその他多数のアーティストと共演した。 「フェス」は、バンド・アーバンギャルドが主催している音楽フェスティバルだ。「病気のみなさんこんにちは」というキャッチコピー。さわやかな夏の野外フェスには向かないような、サブカル色が濃いというか、マニアックでコケティッシュなメンツを集めて開催されている。今年で10回目となる。 僕は10回皆勤賞で出演している。3年前の回では新しい学校のリーダーズとコラボして歌った。その時はまさか彼女らがその後世界的にブレイクするとは夢にも思わなかった。素晴らしいことである。 今年は僕があと数年で還暦を迎えるということで、赤いちゃんちゃんこを着せられて「老後じゃないもん MAXX TOSHIYORI」というアーバンギャルドとのセッションで出演することになった。マ

    大槻ケンヂ「今のことしか書かないで」(第12回)鬱フェス新宿の子犬
  • 中居正広が元V6の三宅健へエール「自分の人生さえよければって思っているとエンタメって濁る」(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース

  • 「体力が少ない人は、不機嫌になりやすい」……体力の最大値が低い人は、ニュートラルな状態でも“ややイライラ”している

    白饅頭(御田寺圭/光属性Vtuber/バーチャルツイッタラー) @terrakei07 先月リリースした記事「人間関係が壊れる人の特徴」にはとても大きな反響があったのですが、なかでも「その逆バージョンにあたる『人間関係が良好になる人の特徴』についても教えてくれないか?」というご要望を多くいただきましたので、今日はそれを書いていきます note.com/terrakei07/n/n… twitter.com/i/web/status/1… 2023-08-03 17:03:21 リンク note(ノート) 白饅頭日誌:7月26日「人間関係が壊れる人の特徴」|白饅頭 私には、仕事でもプライベートでも、良好な人間関係を保つために、常に忘れないよう自分を絶えず戒めて、心に刻みつけていることがたったひとつだけある。 それはすなわち―― 1 user 40

    「体力が少ない人は、不機嫌になりやすい」……体力の最大値が低い人は、ニュートラルな状態でも“ややイライラ”している
  • パパと私|伊藤亜和

    パパと会わなくなって7年経った。 死んでしまったわけではない。パパは私が住む家から歩いて1分ほどの場所に住んでいる。でも会わない。 喧嘩をしたからだ。 私が18になったとき、私とパパは警察が来るほどの大喧嘩をして、それ以来いちども顔を合わせていない。 私のパパはセネガル人だ。アフリカの西の、イスラムの国の人間だ。 私の名には苗字がふたつ付いていて(戸籍上片方の苗字は名前扱いになっているけど)、パパの家系の苗字はセネガルの由緒ある聖人の家系の印として付けられているらしい。 パパが言ったことなので当かは分からない。でも実際、時々知らないセネガル人から「ごきげんようプリンセス」とメッセージが届く。くるしゅうないぞ。 今でこそ横浜の片田舎で祖母の作った鯛のあら汁を啜るどこにでもいるプリンセスこと私だが、パパと暮らしていた幼いころの家の様子はやはり他とは異なるものだった。 壁いっぱいに飾られた教

    パパと私|伊藤亜和
    neo16tea
    neo16tea 2023/06/19
    ソーセージを咥えたりてw 弾むような文章、うまいな〜〜
  • 生命を見つめるフォト&エッセー

    「一人の一途な若者の生涯」 宮寺 良平(63)兵庫県 ある若者の葬儀の弔辞を読んだ。「君は苦しさに慣れてしまったと言っていたけど、ここ数年は激しい頭痛、息をすることも苦しく、眠りのなかでさえ安らぎもなく、生きている意味を問いかけていました。こんなに苦しんで生きなくてはいけないのかと。今は安らかにお眠りください、もし天国、あるいは浄土があったら、再び君と会いたい。君に会えたことで私の人生は大きく変わった」と結んだ。 彼はT君で、18年前に障害の重さを理由に普通高校への入学を拒まれ、不合格取り消しの訴訟を起こし、日中のニュースとなった人物である。私は彼の高校時代の担任であった。40年の筋ジストロフィーとの闘病の最後に、介護してきた両親へ残した言葉は、「僕がいたためにできなかったことを全部してからこちらに来て」だった。 亡くなる1か月前に、彼に話した。「人生の意味が何か、よく考えたらわからない

    生命を見つめるフォト&エッセー
  • 客が減ったのは客しかいないからだ|飯田泰之

    コロナ5類移行で注目される飲店の状況ですが,各種報道によるとなかなかに厳しい状況が続いています.各種データも4月時点ではコロナ前よりも2~3割の人流減が続き,飲店予約状況に至っては半減に近い状況です.それにともって,「夜の街」も業態変化や業態は同じでも提供する価値を変えて行かざるを得なくなるでしょう. もう一つの変化 先日のエントリでは習慣消費としてのナイトライフに焦点を当てましたが,今日はもう一つのポイント.集団での飲み会の減少についてです.所属組織による濃淡あれど...コロナきっかけで部署全体とかプロジェクトメンバーでの飲み会(イメージとしては10人~30人程度の飲み会)の減少傾向を感じている人は多いでしょう. 少し前までなら,コロナを「気にする度合い」が人によって異なるのでやりにくい……という事情もあったでしょう.しかし,今年度に入ってからも回復が鈍い現状はそれだけでは説明がつか

    客が減ったのは客しかいないからだ|飯田泰之
    neo16tea
    neo16tea 2023/05/12
    接客が無人化したから客が来なくなった、という話かと思ったら違ったw が、とてもよかった “なんだかよくわからないイベント・企画を紹介したときに「ひとまず行ってみる」という選択をとる学生は後々伸びる.”
  • 「遅咲き」の女性物理学者62歳 「心身がガタガタだった」30代後半からの十数年を越えて挑んだ新しい分野 | AERA dot. (アエラドット)

    小型の中性子線装置(RIKEN Accelerator-driven compact Neutron Systems=RANS)2号機の前で説明する大竹淑恵さん 理化学研究所(理研)に勤める物理学者の大竹淑恵さんは、日中性子科学会の学会賞を2022年に受けた。中性子(ニュートロン)という粒子を使って、橋や道路などのインフラの内部を「透視」する技術の開発をリードする。標準化を目指す「ニュートロン次世代システム技術研究組合」の理事長でもある。 【写真】若い意欲にあふれたまなざし。東海村にある原研3号炉で実験していたとき 自ら「遅咲き」という。研究が軌道に乗ったのは50代に入ってから。30代後半から心身の不調に悩まされ、家族の看護と介護に翻弄された時期もあった。最初の結婚は6年間で終わり、40歳を過ぎて踏み切った17歳年下との事実婚は2年前に解消。「私はいつも男の人を養っちゃう。それで、相手が

    「遅咲き」の女性物理学者62歳 「心身がガタガタだった」30代後半からの十数年を越えて挑んだ新しい分野 | AERA dot. (アエラドット)
  • 「巨人の選手だったんですか?」巨人をクビになりハローワークに通った田原誠次が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ” | 文春オンライン

    まずは、僕が野球を嫌いになりかけた話から始めさせてください。 幸運にもプロ野球選手になれて、好きなものを仕事にできて、それなりに1軍で結果を残せて。満ち足りた野球人生を送らせてもらいました。 でも、結果的に現役最終年だった2020年、僕はあんなに好きだったはずの野球が嫌いになりかけていました。調子がよくても、結果を残しても使ってもらえない。1軍に上がるのは若い選手ばかり。プロ9年目、31歳になった僕も「これがプロの世界だ」と理解していたはずでした。 元プロ野球選手の就職活動 最初に頭に浮かんだのは家族のこと。僕にはと息子、娘の家族がいます。現役時代は家族との時間が取れなかったので、半年近くは仕事もせずに家族サービスの時間にあてました。一緒に買い物に行ったり、娘の幼稚園の送り迎えをしたり、息子の学校行事に参加したり。 それはそれで楽しかったのですが、さすがに仕事をしないと家族を養えません。

    「巨人の選手だったんですか?」巨人をクビになりハローワークに通った田原誠次が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ” | 文春オンライン