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Interviewとほぼ日に関するnico-atのブックマーク (23)

  • 世界をつくってくれたもの。鴻上尚史さんの巻

    同じ時代に生きているのがうれしくなるような人に 出会うことがあります。 そんな人たちの世界のおおもとは、 いったい何でできているのでしょうか。 幼少期から現在に至る足取りをうかがう 連載シリーズの第3弾にご登場くださるのは 演出家で作家の鴻上尚史さんです。 鴻上さんは「自分で考える力をつける」ことの重要性を 著作でくりかえしおっしゃっています。 インタビューは、ほぼ日の菅野がつとめます。 ── え(笑)、そんなことがあったんですか。 鴻上 ありました。 29歳ではじめて映画を撮ったときです。 演劇と映画って、 物語をつくるという点で似ていると思われがちだけど、 ぜんぜん違うんですよ。 いまでこそ外部交流で どんな業界の人もウェルカムな雰囲気がありますが、 当時はほんとうに職人さんの世界で。 ── 映画って、フィルムですよね。 鴻上 そう、35ミリです。 予算も1億円ぐらいかかる。 「やって

    世界をつくってくれたもの。鴻上尚史さんの巻
    nico-at
    nico-at 2019/12/08
    "「10年前に戻してください」と強く願ったのです。だからいま、あなたはここに戻ってきた。そう考えましょう。10年後の自分がいまの自分に託したものはいったい何だったのか。きっとまだやれることがあるはず"
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 21世紀の「仕事!」論。14 写真フィルムメーカー社員

    今は、デジタル一眼レフをはじめ どんどん、性能のいいデジタルカメラが 僕ら素人でも買えるような値段で 出ていますけど、 富士フイルムさんの社名にもある 「フィルム」の絶頂期って、 だいたい、いつごろだったんでしょうか。

    nico-at
    nico-at 2013/01/27
    やっぱりチェキ良いなー(*`ω´)
  • 嘘つく商売は、人より自由。 [対談]よしながふみ × 糸井重里

    今は世の中がなんだか ドキュメンタリーじみていますよね。 何でも事実、事実で──。 けれども物語を描(えが)くっていうことは、 まだ見ぬ恋愛の追体験だったり、 ラブロマンスしかないんじゃないか。 そんな話を、先日、よしながさん原作の 映画『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』に 主演なさった 堺雅人さんとしていたんです。 世界最古の小説は『源氏物語』だ、 とさえ言われてるわけで、 おおもとは好いただの、好かれただの、 ふられただの、嬉しかっただの、 っていうことが文学だったんじゃないのかなと。 糸井さんのそのお話、マンガ家として 突き刺さる感じです。 というのも、わたし、 恋愛ものが描けなくて。 読む分には大好きなんです。 なのに“ボーイ・ミーツ・ガール”が描けなかった。 だから長らくボーイズラブという違う場所で、 男性同士の恋愛を描いていました。 でも、男性同士だって愛は愛なので、 それな

    嘘つく商売は、人より自由。 [対談]よしながふみ × 糸井重里
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - すてきなふだん字。

    そう。 ぼくらが見ている「形」のなかで、 見逃しちゃってるものがあるでしょう。 同じストライクでも、 ボールひとつ右に内角に寄っている、 みたいなことを、葛西さんは ぼくらと同じ暮らしをしながら、 ちゃんと、見てんだな、と。 ぼくは、今日は改めて 喜びとともに感じたのは、 葛西さんが見てるものの分量が 自分よりずっと多いんだ、 ということのうれしさでした。 葛西さんはフィギュアコンシャスに生きてて、 ちょっとした形の違いみたいなものに いいな、悪いな、どうすればいいんだろう、 みたいなことを、 きっとぼくら以上に見てるんだろうなって。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - “Unusual(変わってる)...”

    以前、糸井重里は、 こんなふうに書いたことがあります。 「経済的に自立して持続している 『ユニークな人々』に ぼくの興味はあるわけです。 『おもしろい』ということと、 『えてる』ということが両立してることが、 さらに希望のある 『おもしろい』につながるんだ」 自分たちも、そういう、 「経済的に自立していて、 おもしろい集団」でありたい。 そんな意味を込めて書いた文章の中で、 糸井重里は 「おもしろくて、自立してて、 えてて、持続している」人々の 理想的な例をふたつ、挙げました。 ひとつは、シルク・ドゥ・ソレイユです。 いまや世界的に認知された 最高のエンターテインメント集団。 サーカスを芸術の域にまで高め、 世界中の人たちを魅了しているのは ご存じのとおりです。 そして、もうひとつが、 グレイトフル・デッドというロックバンド。 1960年代から活躍する古いバンドで、 チャートを賑わすよ

    ほぼ日刊イトイ新聞 - “Unusual(変わってる)...”
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 渡部陽一のおしゃべりは世界を救う。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 糸井重里からデイヴィッドへの7つの質問とその回答。

    さぁ‥‥ぼくは、よその人たちがやっていることについて、 とても不勉強なので、そういう知識がないのです。 ぼくの知っている限りでは、 「ニュース」を中心にして読者を集めているサイトは、 「リアルタイム・コンテンツを活用したマーケティング」 とも言えるかなぁと思います。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - クロネコヤマトの DNA

    最大限に無税の枠を使っても、 それは22億ぐらいまでだったんです。 われわれが寄付したいのは130億ですから、 百十数億は課税の対象です。 日の税率は高いですから、 50億ぐらいは取られてしまいます。 そうやって、 被災地に届くお金が税金で減ることに対して、 我慢ができないわけですよ。 それで、1カ月半、粘り強く交渉しまして‥‥

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 小林薫さんと、居酒屋ごはん。

    (もぐもぐ) 僕は彼女の料理をずっと見てて、 ね、最後にちょっと普段は、 普通は入れないこれを入れてるんですよって いうふうに作るのかなと思ったら、

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - ぼくは見ておこう

    お正月の2日目、 みなさんはどう過ごされていますか。 アメリカの伝説のキャスターと言われた ウォルター・クロンカイト氏への インタビュー記、後編です。 もし時間があればおつきあいください。 私はやはりこのインタビューは 厳しいかもしれないと思い始めていた。 だが次の質問で、その考えを変えることになった。 私はクロンカイトにとって、 おそらく最も輝かしい瞬間について触れることにした。 ベトナム戦争をめぐる彼のコメントだ。 1968年、ベトナム戦争が泥沼化する中で、 クロンカイトは現地で取材し特別番組を放送した。 クロンカイトはこれから述べることは 個人的な意見であると前置きし、次のように語った。 「今日、われわれは勝利に近づいていると言うとすれば、 それは、これまで明らかに過ちを続けてきた 楽観主義者を信じることにほかなりません。 一方、われわれは 敗北の淵に立たされているというとすれば、

    nico-at
    nico-at 2010/04/04
    リポーターの2つのスタンス"ニュースを伝える""個人的な意見を言う""ふたつは常に分けなくては"/"ニュースは面白く(ENTERTAINING)するものではありません""もっと興味深く(INTERESTING)するべき"/ニュースは娯楽番組では無い
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 伊丹さんに。

    今日はね、糸井さんから、 いったい何を聞かれるのかと ドキドキしています。 もちろん、私はまな板の上の鯉で、 いいんですけれども。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - ぼくは見ておこう

    あけましておめでとうございます。 今年もどうぞよろしくお願いします。 今年最初のコラムは アメリカの伝説のキャスターと言われた ウォルター・クロンカイト氏への インタビュー記です。 クロンカイト氏は去年夏に92歳で亡くなり その時『調査情報』という雑誌に 彼の思い出を書いたのですが、 ほぼ日の読者のみなさんにも 読んでもらえればと思い 2回に分けて掲載させてもらうことにしました。 インタビューの中味もさることながら、 “歴史”となった彼と 向き合ったときの“気配”とでもいうべきものを 感じてもらえれば、と思います。 (敬称は略させていただきます) 私がウォルター・クロンカイトに インタビューしたのは、 2006年の春のことだった。 クロンカイトと言っても ピンと来る人はそれほど多くないだろう。 彼は1962年から1981年までの19年間、 アメリカ、CBSテレビの 『イブニング・ニュース』

    nico-at
    nico-at 2010/01/07
    "アメリカの伝説のキャスターと言われたウォルター・クロンカイト"
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - かもめとめがねのおいしいごはん

    映画『かもめ堂』に出てくるごはんが、それはそれはおいしそうでした。 いや、おいしそうなだけじゃなくて、なんだか「しあわせ」というものを ぎゅっとむすんでかたちにしたみたいで、とてもとても印象的だったのでした。 そのスタッフとキャストがふたたび揃い、こんどは『めがね』という映画をつくりました。 またもや、とてもおいしそうで、しあわせそうなごはんが、 なんどもなんどもスクリーンに登場します。 もしかしたら出演者のひとりが「ごはん」なんじゃないかと思うくらいに。 このごはんをつくっているのが、フードスタイリストの飯島奈美さんです。 監督さんや役者さんと同じくらい、かかせない存在の飯島さんに、 おもいきって、お願いをしてみました。 かもめとめがねのごはんを、べさせてください! と。

    nico-at
    nico-at 2009/10/26
    かもめ食堂は良い映画だったしごはん美味しそうだったなぁ
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 堺雅人さんと、満腹ごはん。

    偶然なんですけれど、 焼きそばは彼女の隙間なんですよ、唯一の。 「飯島さんって、一番好きなもの何?」って訊いたら、 「私、焼きそばなんですよね」って言うんだよ。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - ようこそ『MOTHER3』の世界へ!

    大学入学のときに東京に出てきて はじめて一人暮らしをして、最初に買ったものが 炊飯器とスーパーファミコンだったんですよ。 それまでゲームをしたことがなかったので、 ゲームをする生活、イコール自由! みたいに感じてて(笑)。 そのときはゲームをしてたんですけど、 仕事が忙しくなりはじめてから、 ゲーム自体をやらなくなってしまって。 だから、『MOTHER3』が ほんとうに久しぶりのRPGだったんです。 『MOTHER』も『MOTHER2』も やってない状態で遊んだので、 ぼくにゲームのことを語る資格があるかどうか ちょっと不安なんですけど。 だって、ぼく、糸井さんにはじめて会ったときに 「あ、ゲームつくられてたんですか?」って聞いて 周囲をシーンとさせたくらいですからね(笑)。 で、『MOTHER3』ですけど、 4日前かな? 終わりました! ちょっとずつ、こつこつこつこつやってたんですけど、

    nico-at
    nico-at 2009/10/26
    げっぷを連呼する雅人可愛いよ雅人
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - あのひとの本棚。

    5冊目の「トリ」はやっぱり、 落語のでいきたいと思います。 過去、現在、そして未来のことを思うとき、 ぼくにとって落語は、とても大きなポイントになるので。 古今亭志ん朝師匠の、これは対談集です。 山藤章二さん、中村勘九郎さん、今の勘三郎さんですね、 池波正太郎さん、中村江里子さん‥‥。 いろいろなかたとの対談をまとめた一冊です。 志ん朝師匠は大きなホールで落語をやる、 いわゆる「ホール落語」の走りのかたなんです。 いまではよく見かけるスタイルですが、 当時は「あたらしい落語」ですよね。 ぼくらナポレオンズは、 そのホール落語によく呼んでいただきました。 まずぼくらが15分くらいマジックやって、 それから志ん朝師匠が一席。 中入りがあって、またぼくらがちょっとやって、 志ん朝師匠が最後に一席っていう。 だから、袖からきかせてもらえたんです。 それは、もう、みごとで‥‥。 ぼくらは自分の仕事

    nico-at
    nico-at 2009/10/24
    パルト小石の本棚/"マジシャンからすれば「トリック」でも、詐欺師にとっては「手口」になる"…確かに!!/志ん朝の本は良かった
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - あのひとの本棚。

    nico-at
    nico-at 2009/10/24
    光石研の本棚/実はスウィートな人だと思った/だがコメディが似合う!!
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - あのひとの本棚。

    ふつう人間って、26年も付き合えば お互いのことがある程度はわかりますよね。 ‥‥ぜんぜんわかんないんです、萩さんのこと。 「こうですよね?」と聞くと、「違うよ」と言うんです。 あれ? って思って、 「でもそうおっしゃいましたよ?」って聞くと、 「ああ、それ昔、今は違う」 あれ? あれれ? って、その繰り返しなんです。 その、あれれ? のところを、 こので取材と構成をされた斎藤明美さんってかたは、 かなり突っ込んで聞いているんですよ。 すごいインタビュアだと思いました。 斜めから入っていくんです。 「なんでそんなにいい人になりたいんですか?」 みたいな質問をするんです、音を言わせようとして。 スリリングでしょ? 「いやだ、答えない。サルでも聞かないよ、そんな質問」 って萩さんも機嫌が悪くなったりするんですけど、 それでも斎藤さんは質問をゆるめないんですね。 スリリングでしょお? で

    nico-at
    nico-at 2009/10/24
    小堺一機の本棚/笑う犬で見た小堺さんのムービーに通じる温かさ/ウインクが似合うキュートなおじさん
  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 伸坊さんにきいてみよっか?

    失礼ですけど、あなたは何歳ですか? 伊丹十三さんを知っている世代ですか? 三十代、四十代ならともかく、二十代だと、 伊丹さんのことをよく知らない人も多いみたい。 じゃあ、伊丹さんと親しかった、 南伸坊さんにいろいろきいてみよっか? 比較的若めの女性乗組員、 ゆーないと、シブヤ、みちこの3人が、 女子A、B、Cとして参加しました。

  • ほぼ日刊イトイ新聞 - 本を読むように、毎日、街を読んでいた。

    ぼくが、ふだんよく利用している 10 corso como COMME des GARCONS (コルソコモ)というセレクトショップが、 事務所の近く、青山にあるんです。 ある日、そのお店にふらりと入ったら、 親しくしている店員さんに、 一枚のセーターをすすめられたんですよ。 これ、まだご紹介してないですよねって。