事故から14年後、チェルノブイリ汚染地帯を歩いた(1/4) 2000年8月、チェルノブイリ原発に近いベラルーシの高濃度汚染地帯を歩いたことがある。ウクライナ国境まで10キロ、原発まで30キロのベリベラグという廃村だ。原発事故から14年がたっていたが、それでも村の地表からは毎時45マイクロキュリーの高い放射線が検出されていた。 案内してくれたのは菅谷昭医師だった。現在の松本市長だ。チェルノブイリはウクライナ共和国にあるが、国境を接して風下にあったベラルーシでは当時、被ばくによる子どもの甲状腺がんが多発していた。菅谷医師は信州大学医学部助教授のポストを捨てて96年にベラルーシに移り住み、甲状腺がん患者の治療に当たっていた。 ゴメリ市とチェルノブイリを結ぶ幹線道路は、原発から40キロの地点で封鎖されていた。道路封鎖線のわきにトレーラー住宅があり、そこから数人の警官が出てきて通行禁止を告げた。