日本が第1次オイルショックのさなかにあった1974(昭和49)年、銀座・数寄屋通りの高級クラブ「順子」に、1人の米国人男性がやってきた。 男性の名はディック・ヌーニス。米国のウォルト・ディズニー・カンパニー本社で遊園地担当副社長をつとめていた大幹部である。ヌーニス氏を接待したのは1960年に設立されたオリエンタルランド(OLC)や、OLCの大株主であった三井不動産の担当者であった。 日本国内では1960年代から米国ディズニーランドの誘致合戦が繰り広げられていた。建設地として特に有力だったのは2候補で、OLC(京成電鉄と三井不動産連合)が推す千葉県浦安町(現・浦安市)と、三菱地所が推す静岡県清水市(現・静岡市清水区)が、激しく競り合う構図だった。 「東洋に“夢の国”を――」 この世界初となるミッションを当初、優位に進めていたのは「富士山麓」を主張していた三菱地所だった。しかし、立地条件や気候
![W・ディズニーの「日本人とは二度と仕事をするな」発言を乗り越え、東京ディズニーランドを完成に導いた1人の女性 舞台はわずか13坪の銀座の高級クラブ《きょう開園40周年》 | 文春オンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/157f1fcec9df7419f1b2c88353aa9c475b33b989/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbunshun.jp%2Fmwimgs%2F9%2F0%2F1200wm%2Fimg_905677739399a0d909f2fb9340260760171157.jpg)