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ブックマーク / pikarrr.hatenadiary.org (2)

  • 知識人はなぜ2ちゃんねるを嫌うのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    言語の番人、知識人 知識人とは、言語の番人である。「世界へ発せられる言葉」をたえず評価し、リードすることが古来からの使命である。しかし現代は発言が無法地帯化しているという知識人にとって歴史上最悪の時代ではないだろうか。知識人が管理する「世界へ発せられる言葉」とは、ある個人が語るべきとして発せられてきたために、評価するに値した。だから世界に溢れるおしゃべりという言語とは違うのである。一般の人でも適当なことをおしゃべりしていて、たとえばいざTVカメラを向けられ、インタビューされるという「世界へ発せられる言葉」というコンテクストにおかれ、それなりに慎重に発言するものである。 現代の無法地帯化とは、ネットの出現によりおしゃべりが活字化され、記録され、「世界へ発せられる言葉」という形態をもつという事態がおきてしまったということである。(ボクはこれをパロールとエクリチュールの造語として、パロリチュール

    知識人はなぜ2ちゃんねるを嫌うのか? - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • なぜネットコミュニケーションは必ず失敗するのか?(全体)  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    『コミュニケーションは「まなざし」によって成立する ボクはネットコミュニケーションが大好きで、その可能性に期待しているが、信用はしていない。これはネットコミュニケーションを始めて、数年たち、いろいろ体験したボクの率直な感想である。 言語行為論に「コンスタティブ/パフォーマティブ」という考え方がある。たとえば母親が子供に「もう、好きにしなさい!」としかるとき、コンスタティブな意味、すなわち文章そのままの意味は「好きなようにしていい」であり、パフォーマティブな意味、その文章によって指示される意味は、「かってなことはするな」である。このようなパフォーマティブな意味=「真意」の読みとりは、それが言ったのは母親である、怒っている、などなどの、メタレベルでその場の状況(コンテクスト)が理解されて始めて、理解できるものである。 コミュニケーションは、質的には「コンスタティブな情報を伝えあうこと」と理解

    なぜネットコミュニケーションは必ず失敗するのか?(全体)  - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
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